三回忌にひとまず区切り
二年前の告別式はコロナ禍だったが、500名ほど参列した式。が、マスクと自分の涙で誰が来てくれたのか識別できなかった
一年忌法要は、まだコロナ禍継続していたが、夫の同僚や友人が多く来てくれた。が、気分が落ち込みすぎてあまり覚えていない
三回忌法要は、30人ほどのこじんまりとしたもので、一人一人と対面し「ちょうどよいくらい」の式になった
三回忌の夕食としていきつけの居酒屋にオードブルを注文した
夫と時間をみつけては飲みに行き、我が家の食卓か、居酒屋なのか、区別できないくらい通った。 なじみの2件にオードブルを注文したら、大きな皿に愛ある料理が並んだ。

母は「コロナ禍でお客さんは来ないのに、こんなに沢山注文するなんて」と呆れていた。
客の数ではなく、通いつめた料理で三回忌の日を締めたかった
夕方、職場の後輩たちが来た
お坊さんが「法要は故人を偲ぶ会」と言っていた。夫の遺影を囲み、お酒飲みながら、思い出話に花が咲いた
仕事で鍛えられ、夜の悪い遊びも一緒だった子分のような後輩。夫は彼に「俺が死んだ時、死後の世界があったら、どうにかして、お前にその世界の存在を伝える」と言っていたそう。
後輩は「まだ何も伝えてくれないです」と笑った
ブログの誤字脱字を注意
私のブログの話になった
いばりんぼ友人が「なんかさぁ、内容がタラタラと長くない!?」と言う
⇒(心の声)長かろうと短ろうと、私は書きたいのを書く
即座に子分後輩が口をはさむ。
「誤字脱字が多い」
⇒えっ、誤字脱字って………そこですか?
うわ~、いかにも新聞記者のエディターですって感じ。やな感じ
「誤字脱字は、読む気分を明らかに阻害する」
⇒じゃ、読まなきゃいいでしょ。 ん~、うざいな。
「例えばブログのここの「ん」が抜けてる」
⇒そこも聞いてないし、求めてもいない。
ん~、メーワク、迷惑

酔いはじめた後輩は、記事のなんたらを語りはじめる。夫もそうだった。酔ったら、眼鏡を額まであげ、記事のなんたらを語っていた
夫が生きていたら私はブログを書いていただろうか。
書いた内容を「何が言いたいか分からん」「重複した表現が多い」とか、一文一行ごとチェックしただろうし、「ウザっ」と思ったはずだ
そこには夫がいた
後輩に視線を戻すと、今度は、生前の夫と私の口喧嘩の話だった
呑んでる途中によく夫婦喧嘩したのだが「どうでもいい内容を、毎回、言い争いしてましたよ。ほんと、どうでもいいことでしたよ」
⇒あ~、似てる、似てる、この吐き捨てような表現。あ~似てる。ウザい感じがそっくり
後輩の彼は、この会話をきっと覚えていない。
夫もそうだった。飲んで、酔って、さんざん文句言いまくって、会合がお開きになった時には、私はムッとした。
翌朝、すっきりした顔で目覚めて何も覚えていなかった。そんな夫に心底腹が立った
三回忌の夜、その後輩は夫だった
あの世があるかのか、分からないが、説教が、口調のくどさが、うざさがそっくりだった
帰り際のおぼつかない足取りも夫だった。夫が「いってきます」と玄関からでた気がした
さすがに後輩を抱きしめるわけにもいかない。だいいち身体の弾力性がものたりない、と思い、静かに見送った。

久しぶり、夫の文句が聞きたくなった
久しぶり、目の前で、どうでもいい訓示をたれて欲しかった
久しぶりに、酔った夫の顔がみたい思った
偲ぶのではなく、会いたい、と、心底願ってしまった

第59話に居酒屋の話あります