第31話 シェアハウスより子どものことを考えるべし

死を超えるプロセス

シェアハウスやってみようか

 

 夫が逝ってから1年仕事に対するうす~くなったヤル気を、少しつなぎ、やっとつなぎ…しながら過ごしていたある日「シェアハウス・オーナー」広告に飛びついた

 頼りにしているママ友を誘って、説明を聞きに行った

 

 説明を聞いた後、興味度はかなり上昇したが、やはり不安がよぎる

 資金繰りはひとまずわきに置いといて…家事もあるし、仕事しながら転職準備なんてできるのか……次から次へと不安要素が顔を出す

 

 仏壇に向かい「私に向いている仕事か教えてちょうだい」と線香を立てた

 人生の岐路では大切な人が何かを伝えるそうだ

 線香の煙の向きがいつも違うとか、蝶が近くを舞うとか、鳥が飛んでくるとか…。

 けれど、煙の方向に変化はない。周囲を見渡しても、蝶も鳥もいないし、蟻すらみあたらない。

 

 あ~、あ~、夫からのメッセージを全く感じない

 

「仕事じゃなく子どもを観てみたら」

 

 「転職を考える理由は何なの?」 説明に同行したママ友があらためて私に尋ねた

 「夫が逝ってから心にポッカリと穴が開いている。転職に向けて動いたら、少しは気合が入るかな」と悶々とした気持ちを打ち明けた

 「心の穴を埋めるのは、仕事じゃなくて、子どもじゃダメなの?」と彼女が直球を投げてきた

 はて、はて、それはどいうことだろうか

 

 確か、同じことを、同じママ友に半年前に言われた。

 半年前、足底筋膜炎と診断されて、病院で痛み止めを処方してもらったが、改善法をググったら“身体の痛みをスピリチャルで説く記事を目にした

 「足の痛みは…足元を見つめなさい、と書いているんだけど、地道に仕事をこなし、十分足元みつめているのになぁ」とぼやいていた

 すると「私なら、足元って言われたら、家族や子どもだと思うけど」と返してきた
 

 足底筋膜炎の時といい、今回のシェアハウスといい、同じことを言われた。

 

 子どものことなら、十分やっているけどなぁ。炊事、掃除、洗濯、買い物、送迎、部活動保護者会もやった

 これ以上みつめる足元ないけどなぁ

 ふと、子どもをみた。二人とも、翌日着る制服を洗濯し、アイロンをかけ、食べ終わった食器を片づけ洗い終わった。 二人ともずいぶん家事が上手くなった

 

夫が子どもへ仕込んだ自立への道

 夫はガンになってから、自立に向け、徹底して家事を子ども達に仕込んだ
 

 させるより、自分でやったほうが数倍楽だやり方を教えて見守るのはしんどい。
 

 夫は、時には焦り、息子たちとぶつかりあいながらも、辛抱強く教え続けた

 中学に入学する頃までには、身の回りのことや家事全般ができるようになっていた

 

 

 

 こんなに家事ができるようになっていたことに、改めて気づいた。

 

 夫がガンになってから、生活リズムの中心は”夫” 息子たちもそこに合わせて過ごした

 私は息子たちのことを観ているようで、観ていなかったのかも。彼らが何を求め、何をしようとしているのか、考えたことがないのかも。

 

 

 私、何しているんだろう。

 今、子ども達は中3。今なら、まだ、話ができる。私にとって、シェアハウスのオーナーになるより数倍、意味のある時間

 あ~、夫の声がまた聞こえた

 「そろそろ気づけ、今のお前に必要なのは、仕事目線じゃない。足元、そう、子ども達だよ」と。

 数カ月痛かった足裏の痛みもひとまず引いている気がする。さぁ、そろそろ気づきますか。今やるべきことを。