第59話 首里の居酒屋①〜リンゴの恩返し〜

首里に暮らして

いつものカフェで 

 モノレール首里駅を降りて30秒、ほどよく無口でキャップの似合うオーナーさんがいる居酒屋。

 そこに10年以上足しげく通っている。とはいえ、店の中身は変わった。居酒屋の前はスタバスタイルのお洒落なカフェ。

 

 親子4人で首里駅あたりを散策し、たまたまそのカフェに入った

 米軍基地で長くカフェをやっていたが、営業更新させてもらえず、地元首里で開業したという

 使い古した大型メーカーで豆を挽き、手際よく出されたコーヒーを一口飲んで以来、毎日毎日通うようになった

 エスプレッソのダブルショット、アイリッシュクリームフレーバを1ポンプ。私にとってのベストアイスカフェラテ

 育児で手がかかり、好きな居酒屋に自由に行けない。保育園でお迎えした後、カフェに寄って一息するのが唯一のリフレッシュとなった

 60代のお母さんが作るスパゲティ(パスタではない)やオムレツも美味しかっ

 仕事終わって夕食作る気力がない時は、奥の席に陣取り、オムレツ食べさせながら「私に育児と仕事の両立ができるわけない」と泣きべそかいた。

 

宅配で頼んだものは

 ツインズが4歳の頃、一人が高熱で嘔吐。終日介抱し、何も口にできず小さな声で「リンゴが食べたい」と言った

 1日中、相手にされなかったもう一人が、泣いてわめき始めた。

 夫に電話しても、取材先と飲んでいるのか、酒の場でまともに話ができない。双子連れて外出はかなり難しい。

 

 途方に暮れたその時、いつものカフェを思いついた。

 

カフェラテを家まで届けてもらえませんか」と頼んでみた。

 Uber Eatsの普及している今なら珍しいことではない。が、10年以上前の出来事。宅配するカフェなどない。

ついでに、申し訳ないのですが、リンゴ1個、買ってきてもらえませんか」とお願いすると、林檎は無事、わが家に届いた。

続く恩返し

 スタバが日本中を席捲し始めたころで、そのカフェの経営は苦戦を強いられ、数年後、居酒屋へと転業した

 居酒屋は私の得意分野。職場の慰労会、友人との会合はそこへ行き、リンゴの恩を着実にこなした。

 やがてツインズは小学校高学年、夫は主夫になったので、夕食終わったら、夫婦二人でその居酒屋にちょこっとでかける「居酒屋デート」

 顔見知りになると、夫は愛人でも親戚でもないのに、リンゴ届けてくれてありがとうと、言わなくていいお礼をよく言った

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 夫婦で足繁く通って数年、夫ががんであること、再発して切除手術後であることを話した

 あっけらかんと話す私たち夫婦を見て「これだけ明るいから、今度も大丈夫ですよ」とオーナーさんが言い、夫も、入院中のおもしろネタを披露しみんなで笑い転げた

 2度目の転移で手術した後は夫と一緒にその居酒屋に行くことはなかった。

 一度、オーナーさんと道端ですれ違ったことがある。痩せ細った夫を見て、一瞬、目を大きくしたが、何を聞くでもなく会釈のみだった。

 夫が亡くなり49日法要の数日前、オーナーさんから「亡くなったこと、知りませんでした」と電話をもらった

 居酒屋予約でしか使わない番号からのお悔やみの言葉。グッと胸が詰まった

 もちろん、夫の49日法要はそこのメニューを供えた。3回忌法要もそこのオードブル。

 夫がいない今、回数こそ減ったが、今でもそこに飲みに行く。程よく無口なオーナーさんとの会話はほとんどないが、そこが心地いい。

 首里駅近くに来た方も、一度はその店に寄ってください。

 このお勧めがこそが、私のできるリンゴの恩返し

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