第63話 ”まかせて良かった社長”のCMに身を任せて

首里に暮らして

距離おきたい社長との接点

 「まかせて良かった〇〇社長に~、〇〇コーポレーション」

 朝出勤時に、松崎しげる風の歌声で流れるいつものCM

 会社の社長が、世界遺産の城を駆け抜けたり、海に飛び込んだり、何パターンものバージョンが繰り広げられる。

 昭和の香りが最先端の技術にのって、どれもがクスっと笑えて楽しい気分になる

 

 その社長と出会いは、子どもの保育園での行事。

 6歳の子が年8回ウォーキングし沖縄本島を縦断する。保護者は、毎回、指定された場所で子ども達の到着を待つ。

 指定場所に行くと、保護者の団体から、常に、一歩引いてみている父親がいる。明らかに”他人と距離をおきたいですオーラ”が全開

 その父親を見た夫が「ほら、テレビ番組のドキュメンタリーに出ていた友人の弟だよ」という。

 数年前、沖縄の米軍基地をテーマにしたドキュメンタリー特集があり、私たち夫婦はたまたまその番組を見ていた。

 「まかせてよかった社長」は、米軍基地と関わるビジネスに従事

 

 

 沖縄には、米軍基地への反感と共感が常にいりみだれている。

 生活基盤を米軍基地に置いている人、基地は反対だが米軍基地に恩恵を受けている人や、米軍関係のの友人が多くいる人、かと思えば、米軍事件の被害者もいる。

 

 テレビのドキュメンタリーに映る社長の彼の語りは、基地との様々な矛盾が読みとれた

 夫は、その社長が友人の弟であることにまず驚き、誤解を受ける覚悟を引き受けた仕事への信念に感心していた。

 親近感が湧いた私は声をかけ、家族ぐるみで仲良くなるのに時間はかからなかった。

親戚みたいな関係へ

 

 体育会系学部を卒業した彼は、スポーツ指導の仕事をしていたが、莫大な借金付きの不動産会社を、父親から託された。

 大手企業務めの長男ではなく、次男の彼に会社は託され、死に物狂いで経営を立て直した。

 軌道に乗せるまで想像を絶する(金銭的)試練を乗り越えてきたのだろう。

話は合わせても決して迎合せずぶれない姿勢の彼が、夫は大好きだった。

 

 

 家族で東京ディズニーランドやキッザニアへ遠征し、夜は夫婦4人で飲み明かした。

 

 夫はスポーツマンの彼に「健全な肉体に健全な精神は決してやどらない」ときっちりからみ、彼が子どもに大学進学は必要と言えば「中卒で十分」と否定した。

 夫は政治的な話題も敢えてふり、彼も素直に疑問をぶつけ、プチ討論はつきない。でも、切り上げどころも心得ている。

 だから、毎回の酒が美味しく、週末になると酒の肴と称し、夕食居酒屋を共にした

 

 子どもが小学校高学年になり、保護者活動への関わり方が変わり、夫のガン再発も重なり、2年ほど膝を交えて話すことなく、結局、夫は逝ってしまった。

最後の別れを

 夫が息を引き取った翌日朝、彼と奥さんは二人で弔問に訪れた。しぶる彼を奥さんが「行くよ」と連れてきた。

 棺の前で、彼は大きく肩を揺らして泣き崩れた。

 男性がこんなに泣く姿を私は初めて見た。

 いつも強いイメージの社長パパが泣く姿を、息子たちも茫然と見つめていた

 

 

 夫が逝って1年半後、息子たちの中学校卒業の夜、一緒に祝った

 夫がいた時の同じように毒舌トークで盛り上がり笑い転げた。

 帰り際、別れようと手を振ったら、涙が溢れた。彼も奥さんも泣いた。腕を伸ばし、抱きしめ、みんなで抱き合うように泣いた。

 

 お互いの家族で一緒に過ごした時間、あの密度の濃さは、他の人には理解できない独特の濃さだった。

 夫がいなくなり、さみしくて、切なくて、後悔していて、同じ感覚を同じように感じているのが分かった。

 

 

 2023年4月。夫が逝って、初めての新しい勤務先。

 玄関を出ると緊張する大丈夫だよ」と声をかけてくれる人はもういない。

 

 でも「まかせて良かった〜」のCMが流れると、クスッと笑い、心が整うそして「今日も頑張ろう」とシフトチェンジする