(※ブログの合間に夫の記事を掲載)
『新聞社に入ってサツ回りになった途端、僕はスクープするために生まれてきましたみたいな顔をして、悲壮感まで漂わせちゃって、なんかちょっと不思議すぎない?』
立ち読みしていた小説のセリフに思わずドキッとし、10年前の自分を思い出した
入社後、すぐに県警担当4人のうちの下っ端として所轄署を任された。期待されることもなく、それゆえに発奮した。焦ってもいた。
「抜ける(スクープを出せる)記者に早くなれ」と周囲に背中を押され、叱られたり、褒められたり。
殺し、強盗、贈収賄と次々発生する事件。抜きネタを追い回す”取材マシーン”と化するのに時間は掛からなかった。
そんな時、事件が起きた。少年らによる集団暴行致死事件。亡くなった生徒の遺族に呼び出された。
「被害者なのに息子が不良のように書かれている。あんたらは死んだ者にムチ打つのか」肩を震わす父親の怒号が頭の中で反響した。
悪気はなかった。学校や関係者、夜は捜査員の自宅を訪ね、全力で取材した。生徒の生活ぶりや友人関係など他社が知らないことを単に書き込んだつもりだった。
だが、この記事で傷ついた人がいた。目の前で泣いていた。
遺影にひざまづき、うつむいたままハンカチを握りしめる母親に何も言えなかった。
ひと一人が死んだという事実が初めて胸に迫った。
事件をどう捉え、伝えれば良かったのか、自分の物差しの在り方について、今も考え続けている。
《2004年6月『記者の余録』》