第17話【終命2日】”新聞記者”で終わらせてもらった人生

新聞記者として

通夜に訪れた温かな人の波

 大学時代から憧れた新聞記者、新卒しか採用しない時代だから、大学を留年して採用試験に再度挑戦しゲットした職業だった。

 けれど…給与に見合わない労働環境だった

 当時、全国紙の記者と結婚した友人から給与額をきいて愕然としたことがある。えっ、うそ、そんなにもらってるんだ。

 いや、給料で選んだ仕事じゃない。社会のなかに埋もれた声を、沖縄の真実の声を届ける仕事だ、お金じゃない
 
 んっ、給料以外にも出費が多くないですか? 取材先との飲み代も自己負担。移動のタクシーも。いい記事を書くためとはいえ…「働けど働けど暮らしは…」

  地元紙が2つある沖縄はすごいじゃないか、県民が知るべきネタを探し、すっぱ抜き、お互い切磋琢磨できているから素晴らしいじゃないか。
 
 んっ、生活のほとんどを犠牲にする「すっぱ抜きの戦い」って、そんなに大事? 1日や2日の情報の差って…県民にとってそこまでこだわること?
 
 
 そうこうしているうちに、ガンになり、22年務めた会社を退職した。


 

 夫の通夜には、新聞社での同僚が多く来てくれた。上司、先輩、後輩、事務職の方…
人の波がとぎれない、こんなに多くの人が夫と関わっていたことに驚いた

 経済部で一緒だった先輩が一通のメールを届けてくれた。
 熱血だが常に冷静な面持ちの彼が、涙で顔をゆがめながら、今朝、上司から送られたもので、どうしても私に読んで欲しいと言った。

 

発信者は、入社当時から夫が範として仰いだ先輩からだ 

ある一通のメール 

 局員各位

 局員メールでお知らせすることをご容赦ください。
 
 社会部デスクも務めた、熱血漢の記者が昨晩息を引き取りました。
 
 ガンで闘病中でした。今年はじめまで、ウォーキングで日焼けした元気な姿の彼と一緒に飲んだメンバーもいると思います。

 意識が戻った一昨日、かわいがった後輩たちに電話をくれ、話してくれたそうです。病状からすると奇跡的でした。 

 大学ゼミ同期のH記者によると、家族に看取られ、静かに息を引き取ったそうです。

 治療のために退社する以前の彼を知らない方もいるとは思いますが、どこまで伝わっているか分からず、早めに共有したいので、全員メールを用いることをお許しください。



 飲むと眼鏡をあげて、新聞、取材の在り方に熱弁を振るう姿が焼き付いています。サツ、教育班、中部報道、経済部、整理部で活躍しました。

 何よりスクープを打つことへの情熱はすさまじく、特ダネ、独自ダネを放つ時の出稿メモに人の5倍くらいの長文を書き込み、自分のネタをしっかり打ちたいという姿勢に、先輩である我々も後輩たちも大いに刺激を受けました。

 甘い取材に対しては先輩であろうとしっかりモノ申す猛者でありつつ、思いやりのある人間味豊かな男でした。


 告別式は21日午後4時から5時まで、明日はお通夜が営まれると思われます。


 ”彼の学校”か、と思うほど後輩たちを温かく厳しく指導し、励ましました。
 その学校で学んだメンバーが、今の紙面作りの中核を担ってくれていて、彼の記者魂はうちの紙面に息づいていると思います。



 

彼を新聞記者で終わらせてくれた


彼の魂を誰かが受け継いでる、紙面に息づいている、その言葉に救われた。

出棺で火葬場に向かう時に、新聞社の前を通りたくなった。最後に彼に見せたかった。
 建物のそばを通りかかったとき、職場の同僚だった数十人が玄関前に集まり、道路に向かって合掌していた。夫の名前を読んでいる声が響いた



 涙が止まらなかった。
 彼を魂がそこにいた、そしてみんなに「ありがとうな」と手を振っていた。

 私は、彼の新聞記者時代を美化したくない。過重労働は本当だったし、夫自身が自分からそれを選んだ。そして、夫は、新聞記者としてこの世を去った。


 
 夫を”新聞記者たるもの”してくれた人々へ、新聞記者で終わらせてくれたことに心から感謝している