第24話 1年後に届いた先輩のメッセージ

新聞記者として

1年前のメッセージ

 2021年9月、夫が入社した時から慕っていた先輩からメールが届いた。

 夫が入社一年目に先輩たちともらった『局長賞』の写メ付きだった
 
 

 

 受信メールをさかのぼると、その先輩は、夫が亡くなった日、亡くなったことを知らないまま、体調を案じたメールを私に送っていた。気づかなかった


 
 メールを受けて、その先輩のSNSを思い出した。

 夫が亡くなった直後、夫へのメッセージをSNSにあげている聞いていたが、冷静に文字を追うことができなかった。1年経った今、読んでみた

 

 一行ごとに心の底に落ちていく。記者時代を思い出し、夫へ”三行半を突き付けた”ことを、ほんの少しだけ悔やんだ。

 

 息子たちに、いつか知ってもらいたい夫の姿が、そこにはあった


 
 

~先輩のSNSをここに記す~

 先日、5歳年下の後輩がこの世を去った
 3度目のガン発症が命の継続を阻んだ
 享年50歳
 
 彼が入社1年目、俺たち社会部の事件担当は、彼を迎えて取材を始めた 
 その1年は事件が多発し、彼を含む警察・司法担当の俺たち五人組は、その取材に向き合い続けた

 奴と俺は五人組の下っ端

 

 先輩が独自取材をして特ダネ記事を掲載する時、沖縄県警の捜査員による容疑者逮捕に備えて、2人で容疑者自宅前で連行の現場を押さえたりした
 
 暴力団幹部の自宅に2人で出向き、インタビューしたこともあった

 
 中国人の船舶による密入国事件では、レンタカー業者に片っ端から電話して、香港の手引者が密入国者を那覇空港に搬送するためのレンタカー予約をしていたことを2人で突き止めた
 


 組織に破門され、抗争が再燃する可能性があり、破門された暴力団幹部に2人で取材したこともあった。

 沖縄県警捜査第一課幹部の行きつけの店を探し、その店の幹部お気に入りの女性従業員に、幹部が店に来たら俺たちのポケベルを鳴らすよう依頼し、鳴ったら偶然を装って二人で来店し、飲みながら幹部から捜査の重要情報を聞き出したりもした。

 暴力団抗争の時に対立組員を射殺して逮捕起訴され服役中の組員の妻の店に2人で通ったり…

 とにかく奴とはやたらと一緒の一年だった

 この1年、俺たち五人組は4度の編集局長賞、1度の社長賞を受けた。つまり特ダネ連発だった。
 


 その後、彼は新聞記者として素晴らしい仕事を繰り返した。

 後輩からも尊敬されていた


 
 しかし俺たちと同じく仕事中心で生きたため、家族を泣かせていたはずだ
 
 明け方まで取材相手と痛飲する日常
 彼も俺も妻から離縁を突きつけられたことは一度ではない

 昨日の告別式の前の出棺から火葬場に向かう途中、妻が急遽、彼と俺たちのねじろの新聞社前を通りたいと言い出した。
 
 同行していた後輩がすぐに編集局の後輩に、会社の前を通ることを伝えた。後輩は15分後に通過すると社内全体に知らせた

 その知らせを聞いた俺たちは会社の玄関に集まり、車が通るのを待った。しばらくして、棺を載せた車両の通過を数十人の同僚が見送った

 同期入社の1人が霊柩車に向かって叫んだ
 「〇〇〇、ありがとう」

 妻は会社玄関の群衆に驚き、泣き崩れたと後で聞いた

 妻は告別式挨拶の締めくくりで、こう言っていた
「生涯新聞記者だった夫を誇りに思います」

 俺たちは救われた気持ちになった

 告別式の斎場をあとにして見上げた空は夏の終わりの景色だった
 

 君のことは忘れない、ありがとう