第49話 首里城が燃えた日

首里に暮らして

首里城が燃えている

 「米軍機でも落ちたのかな」2019年10月31日の午前4時ごろ、西側の空の一部が朱色に染まっていた。

アパートのベランダから景色を見るのが好きだった夫は、よく眠れなかったのか、明け方の空をながめながら、首をかしげていた。

 

 ふだん、蹴られても起きない私だが、その日は、めずらくし目が覚め、夫の後ろ姿をまどろむように見ていた

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 夫の指さす方向をみると、暗い空のひと区画がオレンジ色になっている。

 突然、暗闇を切りさくように「首里城の火災により……」と防災無線放送が響いた

 「首里城が火事だよ」夫の一声で私は飛び起きた。暴風や豪雨時に避難を呼びかける防災無線の声を、間違いないか集中して聞いた。

 確かに「シュリジョウ」言っている

 

 息子たちをすぐ起こした「首里城が燃えているって。観に行くよ」すぐさま車に乗り込む。

 

 

悲しいほど美しい炎

 数日前から、肩の激痛で右腕があがらず(いわゆる四十肩)、左手しか動かなかった私だが、左手だけでハンドル操作し首里城に向かった

 向かう道路はすでに交通規制が張られていたが、首里で生まれ育った夫は抜け道を熟知しているので、すぐ首里城下にたどりついた

 火の粉が舞っていて、近すぎてよく見えない。首里城の北殿あたりがみえる龍潭池まで戻る。首里城の方向を見上げた

 煌々と燃えていた

 黒い夜空にキャンプファイヤーのように炎が立ち上がり、金色に輝く見事な色だった

 

 周囲をみると、通りには、いつの間にか人が集まっている。3日後に行われる首里城祭の夜に屋台が並ぶはずの通りに、SNSで火事を知った人が集まってきた

 

 私は夫と顔を見合わせた。息子をみた。言葉にならない。周囲の人も、みな、茫然としていた。

 言葉で発する人もなく、ただ、ただ観ていた

 

 煌々とした火の中に首里城の骨組みだけが浮きあがってきた、そして瞬く間に、屋根が解けるように崩れ落ちた

  「おぉ~」打ち合わせしたかのように誰もが同じ声をあげ、声が反響した

  

  その瞬間、涙があふれた

 

首里城に想いを重ねて

 首里城が復元された年、私達は大学生だった。

 私の先祖は漁民か農民で、琉球王府の税の取り立てに苦しんだ?階級のはずなのに「琉球王国」が形になった時、なんだか誇らしい気持ちになった

 

 が、冷静に考えると、キラビやかな建造物は復元で、歴史を示す一つの建造物であり、「祭り」の場で、沖縄観光の目玉にすぎない

 

 感情を入れ込んじゃいけない。首里城は沖縄観光の象徴、それ以上でもそれ以下でもないと考えていた。

 

 でも、泣いた。ふだん感傷的にならないシニカルな夫も、涙がでた自分に驚いたと言った。

 

 いつの間にか、首里城が身近な風景の一部になり、知らないうちに心に入り込んでいたのだ。

 

 日本と中国の2つの国に従属しながらも、時代を巧みに生きた人の息吹が首里城にある。今の時代を必死に生きる私たちに先人の言葉が聞こえる

 「賢くなれ」「足元をみつめろ」「自分に誇りをもて」

 首里城は多くのメッセージを送りながら、沖縄の人々の奥深くに根付いていたんだ

 

 

 2022年10月31日、今日は、朝から激しい雨が降っている。

 首里城が燃えた日、あの日、まだ夫は生きていた

 黒いボードに描かれる金色を一緒にみつめながら、”首里城”の意味を考えた。

 

 今、夫はいない。そして、これからも、隣に夫がいることはない