第50話 てだこ祭りの「かりゆし58」

死を超えるプロセス

我が家の「かりゆし58」

 コロナ禍の規制がゆるくなり、この2年間が夢だったかようにように、人が、観光客が、沖縄に戻ってきた

 10月中旬から、週末は至るところでイベントがめじろおし。「産業祭り」「沖縄県総合文化祭」「那覇大綱曳き」……

 インスタでイベント情報をチェックし、高校生の息子たちは、浦添市の「てだこ祭り」にでかけた。それぞれ友達と一緒だったが、どちらも10月最後の日曜日に選んだのは「てだこ祭り」

 てぃだは太陽。てだこは「太陽の子」。昔、琉球王都で浦添が栄えた時の英祖王の敬称「てだこ」 

 浦添市はてだこの街として、日々発展。魅力ある街としてのステータスを確立してきている。「てだこ祭り」も、若い彼らにとって上位ランクの人気のようだ。

 

 3年ぶりの「てだこ祭り」の目玉はバンド「かりゆし58」

 メンバー全員が沖縄出身、高校時代に不良だったというボーカルは、空まで届くように響くハスキーボイス。いかにも”不良でした”という風貌から流れる声が心をつかみ取る

 「いいなぁ、私も、かりゆし58の歌聴きたかったなぁ、ほら、お母さんの愛情の歌『♪アンマー』歌った? 最高だよね」と言うと、野球部息子は大きく頷く。

 そして「『♪おわりはじまり』も歌ったよ。最高だったよ」と返してきた。

「そういえば、お父さん、カラオケで『おわりはじまり』歌ったことがあったよね。あの時、泣いていた」とぼそっと付け加えた。

家族でカラオケに行った日

 夫は歌うのが好きだった。中1までピアノをやっていたからか、小6の時に学校代表(独唱?)になったからなのか、聴くのも歌うのもとても好きだった。

 私は歌っているのを聴くのが好きだった。子どもが生まれるまでは、夫の歌うカラオケをバックに飲むことも多かったが、家族でカラオケに出かけたのはほとんどなかった。

 

 ガン転移が分かって手術後しばらくたった頃、友人ファミリーにカラオケを誘われたので、息子たちに”歌う父”も見せたいとでかけた

「お父さん、こうみえて、歌、上手なんだよ」と、私は自慢したが、小学生の息子達からすると、“ふつうレベル”だったよう…だが、みんなでマイクを回し楽しんだ。

 いや、楽しんだと思っていた

 あの時、夫は泣いたんだ。私は気づかなかった。

 飲んで陽気になると記憶が薄れる私だから忘れたのか、と記憶をたぐりよせる。画面のフレーズを追いながら笑顔の夫しか思い出せない。 カラオケと涙が一致しなかった

おわりは本当に始まりだった

 「♪もうすぐ今日が終わる。やり残したことはないかい」 

 「♪……かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい…」 

 「♪ありふれた日々が君や僕の胸に積もって光る」

 「♪残された日々の短さ 過ぎ行くときの早さを」

 「♪一生なんて一瞬さ 命を燃やしているかい」

 どのフレーズも、夫の気持ちを代弁していた。

 私は、夫の感情に気づくことはなかった。日々をただ必死に過ごしていた。家族で過ごしていた。

 考える回数を重ねる分だけ、後悔も同じ分量で湧き出てくる。けれど、かけがえのない時間を刻み込んだと思えばいいのかもしれない。

 夫が逝き、おわったことはあった。が、始まったことも多い出会った人も多い。きづかない景色に気づきはじめている。

 切ないけれど、おわりは、はじまりだった