第40話 夫そっくりなウザい後輩との三年忌

死を超えるプロセス
Kankanravee KanyawathによるPixabayからの画像

三回忌にひとまず区切り

 

 二年前の告別式はコロナ禍だったが、500名ほど参列した式。が、マスクと自分の涙で誰が来てくれたのか識別できなかった

 一年忌法要は、まだコロナ禍継続していたが、夫の同僚や友人が多く来てくれた。が、気分が落ち込みすぎてあまり覚えていない

 三回忌法要は、30人ほどのこじんまりとしたもので、一人一人と対面し「ちょうどよいくらい」の式になった

 三回忌の夕食としていきつけの居酒屋にオードブルを注文した

 夫と時間をみつけては飲みに行き、我が家の食卓か、居酒屋なのか、区別できないくらい通った。 なじみの2件にオードブルを注文したら、大きな皿に愛ある料理が並んだ。

 母は「コロナ禍でお客さんは来ないのに、こんなに沢山注文するなんて」と呆れていた。

 客の数ではなく、通いつめた料理で三回忌の日を締めたかった

 

 夕方、職場の後輩たちが来た
 お坊さんが「法要は故人を偲ぶ会」と言っていた。夫の遺影を囲み、お酒飲みながら、思い出話に花が咲いた

  

 仕事で鍛えられ、夜の悪い遊びも一緒だった子分のような後輩。夫は彼に「俺が死んだ時、死後の世界があったら、どうにかして、お前にその世界の存在を伝える」と言っていたそう。

 後輩は「まだ何も伝えてくれないです」と笑った

ブログの誤字脱字を注意

 

私のブログの話になった

 

いばりんぼ友人が「なんかさぁ、内容がタラタラと長くない!?」と言う

(心の声)長かろうと短ろうと、私は書きたいのを書く

 

即座に子分後輩が口をはさむ。

「誤字脱字が多い」

  

⇒えっ、誤字脱字って………そこですか? 

うわ~、いかにも新聞記者のエディターですって感じ。やな感じ

「誤字脱字は、読む気分を明らかに阻害する」

⇒じゃ、読まなきゃいいでしょ。 ん~、うざいな。

例えばブログのここの「ん」が抜けてる」

 ⇒そこも聞いてないし、求めてもいない。

 ん~、メーワク、迷惑

 

 

 

 酔いはじめた後輩は、記事のなんたらを語りはじめる。夫もそうだった。酔ったら、眼鏡を額まであげ、記事のなんたらを語っていた

 

 夫が生きていたら私はブログを書いていただろうか。

 書いた内容を「何が言いたいか分からん」「重複した表現が多い」とか、一文一行ごとチェックしただろうし、「ウザっ」と思ったはずだ

 

 

そこには夫がいた

 

 後輩に視線を戻すと、今度は、生前の夫と私の口喧嘩の話だった

 呑んでる途中によく夫婦喧嘩したのだが「どうでもいい内容を、毎回、言い争いしてましたよ。ほんと、どうでもいいことでしたよ」

 ⇒あ~、似てる、似てる、この吐き捨てような表現あ~似てる。ウザい感じがそっくり

 

 後輩の彼は、この会話をきっと覚えていない。

 夫もそうだった。飲んで、酔って、さんざん文句言いまくって、会合がお開きになった時には、私はムッとした。

 翌朝、すっきりした顔で目覚めて何も覚えていなかった。そんな夫に心底腹が立った

 

 三回忌の夜、その後輩は夫だった

 あの世があるかのか、分からないが、説教が、口調のくどさが、うざさがそっくりだった

 帰り際のおぼつかない足取りも夫だった夫が「いってきます」と玄関からでた気がした

 さすがに後輩を抱きしめるわけにもいかない。だいいち身体の弾力性がものたりないと思い、静かに見送った。

 

 久しぶり、夫の文句が聞きたくなった

 久しぶり、目の前で、どうでもいい訓示をたれて欲しかった

 久しぶりに、酔った夫の顔がみたい思った

 偲ぶのではなく、会いたい、と、心底願ってしまった

第59話に居酒屋の話あります