最後の夫婦旅行
また今年も伊勢にきた。去年もきた。伊勢は夫との最後の旅となった地。
3年前の2月、仕事関係で滋賀と京都に行かないといけない所用があった。が、予算がつかなかったので、私的旅行がてら、所用まで済まそうと夫を誘った。
いつものことだった。私が出張の時は、その後1日休暇をとり夫と現地で待ち合わせして観光。
出張の多い勤務先だったので、離島、県外、国外といろんな地に連れ出した。
◇画像

2020年、新年明けてから、夫の身体は不調続き。最初にガン治療した時とは違う体の感覚に不安を感じていた。
「こんな時こそ、”願”をかけよう! 伊勢神宮ならパワー最強じゃない!?」と地図を眺めて即決。
友人から「伊勢神宮ではお願い事をしていけない、感謝の気持ちを述べるだけにするんだよ」と言われた。
そうするつもりだったが、手を合わせたとたん「4月に異動する部署はまだ分かりませんが、どうか、家族にとって最適な所でありますように」と、しっかりお願いした。
普段、神というものにナン癖つける夫も、何かをお願いしてるように見えた。
それが最後の夫婦旅行になった
毎年の伊勢参り
彼が逝って、1年半後の2022年、同じ日に同じ場所に行こうと、突然思い立ち、再び、伊勢の地を踏んだ。
夕方ホテルにチェックインし、駅周辺を散策し鉄道沿線に出た。最後に夫と一緒に歩いた場所だった。
「確か、あの時も夕方駅に到着し、ホテルを探しながらお喋りしてこの沿線を歩いた」
その場面が目の前で降ってくるように再現。過去をなぞっている自分に身動きが取れなくなった
コロナ禍まっただなか伊勢駅周辺は観光客もまばら。真っ暗になった空が目の前を覆いつくし、どうしようもなく惨めな気分になった。

そして、今年もまた、伊勢にやってきた。仕事は超忙しかったが、放り投げるように休みをとり、伊勢来てしまった。
3年前、伊勢神宮で異動する仕事場についてお願いした。今回も4月から新しい職場に転勤になる。
あの時、隣りで参拝した夫は、もういない3度目の伊勢。
今回は「ツインズの高校生活をサポートし仕事と両立できますように」とお願いした。
”伊勢神宮には感謝だけ”というのは‥‥凡人の私に難しい。
今回は、鉄道沿線を歩かなかった。駅を離れる時、また、3年前の列車に乗り込んだシーンが蘇る。
寂しさが降りそそぐ。感情だけは、どうやら時間軸に正比例だ。
まだまだ、夫がいない現実が、生きていない現実が身にしみる(なら、伊勢なんか来なきゃいいのに)

6年前に旦那さんを亡くした方が、ポツリとつぶやいた。「何年たっても、ふとした瞬間に悲しくなるんだよね」
何年経ってもそんな感覚になるなんて。死を越える向こう側に辿り着くプロセスはながい、ながい鈍行列車の旅だ。
それでも、多分、来年も伊勢の地を踏む。
その時までブログは続いているのだろうか。108話に届いているのだろうか。
悲しさと切なさのゲージはどうなっているだろうか