第3話【がん宣告】全てはハワイから始まった 

ガンと家族の6年

47歳で大学院へ行く


 勉強したいのではなく、休憩がしたかった

 40才の時に双子を出産し、夫は仕事で家にはいない
 育児と仕事に忙殺され私は疲れ果てていた。息子たちが来年小学校に入学する時期だから、今ならまだ育児に関われる。
 
 仕事を辞めず休職できる方法は3つ。
 1つ目は妊娠出産、2つ目は心身の不調、3つ目は大学院進学だった。
 給料はもらえなくても休職できることはありがたい。

 まず不妊治療外来病院へ相談に行った。
 46歳での妊娠・出産のリスクを説明されて「なぜ3人目が欲しいのか」を聞かれて、返答できずに帰ってきた。
 
 一番の近道は大学院だと思い、社会人入学枠を探した。研究テーマはさておき、社会人枠なら志望動機と意気込みでなんとかなると受験し合格。

2年間の休職をゲットし、47歳で大学院に進学した


 消去法で選択したはずの大学院進学だったが、20年ぶりの学生生活は予想以上に楽しかった。
 青春時代が戻ってきた! 学生時代の数倍、学ぶことの価値が分かったし、自分に費やせる時間のありがたさが身に染みた
 
小学生の息子たちとゆっくり過ごす時間も貴重だった。

家族で1か月ハワイ滞在 

 その大学院を選んだ理由は、社会人枠以外にもう一つの魅力があった。ハワイの大学で学ぶ2週間のショートプログラム。
 身分が保障された2年は二度とない、この機会にハワイでも学んでみたい。どうせ行くなら息子達も一緒に連れていきたいし、1か月は滞在したい。
お金? お金ならある。ハワイをみすえて休職前に500万円借りていた

2014年2月、息子達を連れてハワイ行きを決めた



 
 気がかりは、残していく夫の体調だった
 夜中まで飲み歩き帰宅は朝方、結婚してずっとそうだったが、最近は酒を飲む量が増えていた。
 取材する一線からデスクワーク職へ異動し、取材を楽しんでいた彼から笑顔が消えていた

 飲む量が増える、暴言が目立った。明らかなアル中


 家庭をかえりみない夫など、ほっとけばいいとも思った
 でも、帰国したら自宅で独り倒れていた死んでいた…なんてことになったら…どうしようと不安になった。

 ハワイ出発の直前、嫌がる彼を専門の治療医へ連れて行った。
 専門医は適切な治療法を提示してくれたので、彼の職場に私が病休申請をした。

 

 それから、私と息子たちは出発。彼も休職は今回だけだろうから、二度とない機会だからと、渡航申請を行い、2週間遅れてハワイで合流した


 ハワイで1か月アパートを借りた。学生として参加すれば大学指定の宿泊ホテルにて格安で参加できたが、私は特別参加の形だった。
昼間は大学でプチ留学気分。家族はビーチでまったり過ごし、ハワイで暮らすセレブリティの日本人家族のよう。
 

 一生に一度の贅沢だと思った。夢のように過ごしたハワイ

Oahu, North Shoreで息子たちと



夫へがんの診断が

 「去年は人間ドック行かなかったから、今年は行ってみよう」。
 ハワイでリフレッシュした彼は、復職に向け体調を整えようと、張り切って人間ドックに行った。

 結果は逆流性食道炎。毎回似たようなi診断結果だった。けれど、今回は再検査がついた。気になる影があるから念のため詳しく調べてみることになった


 再検査の結果…胃から食道にかけて癌が見つかった

 
 44歳 高血圧で体重は100kg超えている。肥満も重なり高血圧で倒れる可能性はある、でも癌になることは…考えたこともなかった。
 日本人の2人に1人は癌、死因1位は癌と言われているのに、CMでそう言っているのに、癌が自分ごとになることは想定してなかった。


 
 50代の落ち着いた医師が丁寧に説明してくれた。
胃がんか食道がんか、今の時点では判断はできない。癌部位をとるうえで胃と食道の一部も切除する手術が必要になる。おそらくステージ2か3。ただ手術してみないと、なんともいえない」と。




 彼は何かを質問していた。でも私は何の言葉も入ってこなかった。
 医師の言葉も、ハワイでの出来事もまるで夢のようだった

 でも、きっと現実。ぼんやりとその現実を私は受け入れ始めた