第26話【残り1年】生前の”しがらみ”をクリーンアップ

ガンと家族の6年

実家でのゴタゴタ騒動

 2019年の夏、夫あてに、裁判所所から一通の内容証明が送られてきた。夫の実家の家屋を撤去し、年内に土地を所有者に返すことが和解条件で、夫は原告の一人になっていた

 「あの人、裁判起こしたんだ」と苦虫をかみつぶした
 あの人とは義母のことである

 
 
 夫の実家は首里城下にある。義母は離島から嫁いできて”首里的格式”なるもので、親戚からいじめられたそう。
 嫁ぎ先にイジめられるのは、当時の”あるある”だが、気丈な義母は果敢に応戦し、やられたらやり返す勢いだったのか、周囲の親戚とは喧嘩が絶えなかったそう。 

 親戚関係のもつれはやっかいだ。田舎ほど、たぶんネチネチしている。沖縄の古都”首里”だろうが御多分にもれず、もつれた関係は年月ごとに最悪な感じになっただろう。

 夫が実家の話をするときは「親戚と言い争いすることが多くて…いるのが嫌だった。父親と謝りにいったことも多かった」と寂しそうだった


 

 義父が亡くなってから、ゴタゴタに巻き込まれるのは嫌だと、夫は実家から足が遠のいていた。
 
 ガンになってからは「顔を見ると病状が悪化する」と言って、義母とは数年会っていなかったのだ。
 私はずっと”嫌な嫁”の立場だったので、ありがたいことに1年に数回会うだけの関係を維持できていた
 

 そんな時、義母が入院したと連絡を受けた。酸素飽和値が低く、苦しそうな表情の義母だったが、久しぶりの息子の顔を見て嬉しそうに私たちを迎えた

 裁判のことを聞くと、土地の名義変更をしていなかったため、仲が悪くなった所有者の親戚が土地を売り、不動産会社とナンタラカンタラこじれ、息子の承諾なしに裁判し負けた(和解)とのこと。

 依頼した代理人弁護士には和解までの経緯を聞きたかったし、納得できないこともありはした。
 が、何度も言うように、がん治療と仕事、家事、子育て、ささやかだけど家族で平穏に暮らしているなか、裁判の争いごとを割って入る気力はなかった

 義母はまだ訴える要素はあると言ったが、夫は「お願いだからこれ以上ゴタゴタさせないで」と頼みこみ、入院している間に、実家を片づけ、取り壊す業者の手配をし、転居先を探した

しがらみのクリーンアップ作業


 
 40年以上住み続けた家のクリーンナップは大仕事だった。ママ友、姉家族、知人、声をかけられる人に、タダで家財を持ち帰ってもらい、ついでに片づけを手伝ってもらった。
 東京から義弟も帰ってきて作業に加わった

 手当たり次第に捨てた。整理していない写真と積み上げられたアルバムは50冊はあっただろうか、その半分を捨てた。

 高価そうなのもたくさんでてきた。私が「もったいないから、これはとっておこう」と手をとめることもあった、夫は聞かなかった
 「必要ない思い出だから全部捨てる」と容赦なく捨てた。義弟も同感だった

 




 家財を捨て、家を壊し、更地にして土地を返し、義母が転居するアパートを決め、義母が退院し、義母をアパートに入居させた
 


 夫と義母は普通に話をするまでになり、義母の体調が戻った頃、夫は逝った
 

 まるで、一連の作業を全うするために、生きながらえたかのようだ… 
 今、私は、義母のとこに顔をだし、お喋りをしている。まるで、今までそれがあたりまえだった仲の良い嫁と姑のように

更地の実家の前をとおるたび、嘘のような半年だったと思ってしまう。家の取り壊しも、正直、もったいないと、まだ思ってしまう

でも、取り壊すことで、夫は”嫌な思い”も”しがらみ”も捨てることができた、きっと、最後は、その”しがらみ”から解放されて、自由を感じていた
 
 だからなのか、更地になった実家の地には、いつも夫の笑顔が映る。そして私も安堵する…