第56話 実家の正月イベントは家族喧嘩

ガンと家族の6年

 

母の手料理

 私の母は料理が上手い。80歳を越した今でも料理を振る舞うのが好きで、いくばくかの財力があれば、学生相手の食堂を開業したかったという。

 主夫業を担当し料理に凝っていた夫は、料理の本片手に研究していたが、「おふくろの味という類が一番難しい」とうなっていた。

 だから、私の母の手料理が好きだった。

 夫の食事の負担を減らそうと、私は、時間を見つけては実家に立ち寄り、持ち帰ることができる料理は全て容器につめこみ、戦利品のように誇らしげに夫に手渡した。

 

 実家に寄って帰る日は、幼い子がプレゼントを待つように、夫は期待を膨らませて私を待っていた。

 夫がいなくなったら実家へ足を伸ばすのがめっきり減った。「なんで顔を見せないの」と母から電話をもらっても、生返事を返すのみだった。

 

 この正月は、息子二人連れて久しぶりに実家を訪問。お年玉を楽しみにしている息子がいる間は、ルーティン業務の正月である。

母を何度も死なせる夫

 

 2020年1月、夫が生きていた実家での最後の正月。それはそれは、常識をこえる賑やかさだった。

 高齢の母と同居する独身の弟に「お母さんに食事を作ってもらってるの? いつまで生きているか分からないよ。もうすぐ死かもしれないのに、今後どうするのか?」と言い始めた。

 酒が入っているから、夫の言動は勢いがつく。「お母さんは80歳を超えたよ、もうすぐ死ぬんだよ、どうするの」と詰め寄る。

 

 母亡き後の弟の身を案じてくれるのは有り難い。が、「死ぬ」の連発に、私の堪忍尾の緒は切れた

「私の親に対して、死ぬ、死ぬ、っていい加減にして。正月から親を殺しまくるなぁ〜」と怒鳴った

その前年2019年の正月も同様だった。弟たちに「お母さんは死ぬんだよ」を連発して、私は夫を実家からつまみ出した。

 母は一向に気にしなかった。「言わせておきなさい。酔ってるのに。言いたいこと聞いてあげたらいいさあ」と取り合わない。

 

 前々年の年も騒がしかった。夫がニート状態の弟に「人生をどう考えているのか」と直球質問を投げ、それが引き金になって、実家の家族で言い合いになった。

 まっ、怒っていたのはほぼ私だったが。

 

 こんな調子で、私の実家の正月は、毎年夜中までてんやわんやの大騒動。

 引き金はいつも夫弾も夫が打ちまくった。

家族の壁を乗り越える

 家族(実家)とは不思議なものである。生まれ育ってずっと一緒に暮らしてきたのに、大人になると一定の壁ができる。

 触れていけない「暗黙の部分」はできるだけ触れない「壁」である。

 別々に暮らしているので、お互い尊重しているという解釈もできるが、”話すべき話題”であればあるほど、決して触れない

 

 そんな触れられない部分をキチンとえぐるのが、夫だった。私の生まれ育った家庭に入ってくるな、と何度も思った

 が、毎年、これでもかというほど、入りこんできて、問題を掘り起こした。翌朝、気持ちよさそうに目を覚ます夫を見て、どれだけ腹が立ったことか。

 

 

 去年の正月、今年の正月、夫はいなくなった。喧嘩もなくなった

 実家で集まり、おせち料理を食べ、普通に会話し、普通に解散した。なんの喧騒も怒らなかった

 

 実家に集まった誰も言葉にはしなかった。

 が、平穏でスパイスの効いてない正月は、明らかに寂しかった。