ゆりかごから墓場までの病院
年に一度の人間ドック。仕事が忙しくて、日程を延ばしまくって、とうとう12月28日になった。
健診の合間の待合室で、仲のいい看護師が声をかけてきてくれた。
仲がいいというより、双子を出産した時に帝王切開で苦しむ私を看護した人で、夫とわが家族をホスピスで見守ってくれた人でもある。
そう、私の人間ドック受診院は、夫が産まれ、息子を出産したところであり、そして、夫が命を閉じた病院である。まさに「ゆりかごから墓場まで」の場所

結婚して9年目に生まれた我が子を抱いた時の感動は、昨日のように覚えている。
出産したものの、諸事情で帰る場所がなく、退院を延期しまくり、1か月ほど入院した。
「問題ないのにこんなに長く入院する患者は初めて」と言われながらも、居座り、看護師のみんなと仲良くなった。

医師不足で5年ほど前に産科がなくなり、キリスト教を母体としたこの病院は、終末ケアの病棟だけを残した。
産婦人科がなくなると聞いた時、思い出がなくなるようで寂しかった。まさか、夫のホスピスで関わることになるとは‥想像すらしていなかった。
産後1か月滞在した病室は、ホスピスの1室になっていた。
赤ちゃんの泣き声で妊婦が右往佐生する廊下は、体力が落ち、ゆっくり歩く患者の足音に変わっていた。
ホスピスのおいしいピザ
産科で仲良くなったその看護師は、近所に住んでいて、保育園と放課後児童クラブの保護者としてよく顔を合わせていた。
夫がホスピスに入所した時、外来診療を担当している彼女は病室に会いにきた。夫が逝く3日前だった。
生まれた瞬間から知っている二人の男の子が、父親のそばに佇む姿を見て、ベッドに横たわる変わり果てた夫の姿に驚くことなく、私に声をかけた。
コロナ禍で面会制限あるなか、私たちは、病院に無理やりお願いして、産後の時のように居座り、病室にこもっていた。
翌日、彼女は、ピザを差し入れてくれた。温かいピザは何よりのご馳走に感じた。

彼女と会ったのは、ピザをもらった日以来。
人間ドックの健診センターはホスピス病棟とは別棟だから、健診中は、ホスピスでの出来事を考えないようにしていた、
なのに、彼女の顔をみると、あの日々が映像フィルムのように流れ、涙が溢れた。
あの時、ホスピスで交わした看護師との会話は心に刻まれることばかり。みんな、とろけるように優しかった。
ホスピスは他の病院(急性期病院)と違うから、”とろける”のは当たり前なのかもしれない。
それでも、死を目前にした人にとって、その優しさや言葉は「残された生」を生きる人にどれだけ光を与えてくれたことか。
そして、その優しさや言葉は、大切な人が逝った後の残された人の生を、どれだけ支えてくれていることか。
あの時、言葉を交わしたホスピス病棟の他の看護師にも会いたい。
きっと「ありがとう」と泣く。そして思いを語って、笑いあう。
心に溜まった感情が、こうして、少しずつ少しずつ整っていく