第10話 医者は余命を言わない

看護師のアナタへ

なぜ誰も教えてくれなかったの

 
 死期は迫っていたのに、なんで、担当医は言ってくれなかったんだろう頭から離れない疑問

 


 「治療を継続してもダメなら、その時点でハッキリ言ってもらえますか」と頼んだ時、担当医は「分かりました」と答えた。 
 

 2度目の転移が分かり、夫が離席している時「本人は余命3カ月~6か月と勝手なこと言っているのですがどうなんですか」と尋ねたら、「否定はできません」と返した。


 
 「体力がこんなに落ちているのに、本当に放射線治療をしていいのですか」と聞いたときも、「現時点での最善の提案です」との返答だった。

 

 終末ケアを打診された時、「ホスピスを選択する時って、どのタイミングなんですか」の質問に「体力的にも心理的にも治療が辛くて、もう無理だと思った時です」と答えた。
 


 
 余命を宣告されたとか、命の限界がそこだとか、告げられたことは一度もなかった。

医者は言わないものなんだよ

 

「医者は…余命を…言わないんだよね」

 夫が逝ってから、医療関係の何人もの友人が同じことを呟いた。

 

 医者は言わないんだ。何度も念押ししたから言ってくれると思っていた。けど、言わないんだ。いや、言えないのかもしれない。

 「あとどれくらい生きる」という確固たる根拠がないことを言ってはいけないのかもしれない。

 

 ただ医者が余命宣告しないという事実をもっと早くに知りたかった。

 

 恨んでるわけではない。責めているわけでもない。医者は余命宣告しないということを、もっと早くに、誰かに、教えてもらいたかった

 

家族はこんなにも鈍感

 

 それ以上に、教えてほしかったことは…家族が鈍感だということ

 水戸黄門の印籠を出されるように明言されない限り、愛する人の死期が近づいていることにきづかなかった。
 

 一番鈍感なのが家族だということを教えて欲しかった。


 
 看護師は、多くの症例を見て「もうすぐこの人は逝くんだよ、なんで分からなの」と一生懸命伝えようとしてくれた
 
 それなのに、まだ大丈夫、もう少し生きる、と思い込んだのは、一番身近にいた私だった。家族だった。

 

 

 目じりがくぼみ瞼がとろんとおち、ゆっくりかみしめるように話す、あの時の夫の動作は、人生を閉じる、最後を生きる人の特徴だったのだ

 

 でも、分からなかった。自分の間抜けさが許せないくらい、気づくことができなかった。

 せめて、一度でも、死をこうして身近に経験していたら、分かっていたかもしれない。今なら分かるのに。

 そんな、行き場のない想いだけが、いつも私のなかをかけめぐる