第15話【残り3日】夫がホスピスを選択した本当の理由

看護師のアナタへ

あの病院は地獄だった

 ホスピス転院して2日後、奇跡的に意識が戻った。あきらめていただけに家族も看護師も驚いた。

 コロナ禍で、病院は面会制限をしていたので「自宅に戻ろうね」と声をかけたた。すると、いや、家には帰らん、俺はここがいい、ここにいたい」とはっきりと答えた

 そして6年間通院し、信頼していた病院をあそこ…地獄だったと呟いた

 夫は、看護師が患者に幼児言葉で話かけるのを嫌がったが、通いなれた総合病院は丁寧な言葉で対応する看護師も多く、アットホームな雰囲気で特段の不満はなかった。

 ホスピス転院の朝、夫を迎えにいくと、首をだらんと落とし意識がもうろうとし、2日前に入院した時の面影は全くない姿に唖然とした。


 周囲にいる看護師は、家族に対し会釈をして配慮の目は向けるが、目の前の夫はいないかのように会話をしていた。
 輸血した時によく談笑していた男性看護師も、傍らにいたが、同僚と笑いながら話していた。

 
 重度障害児をケアする教育施設で、ケアする対象ではなく、保護者や家族に誠意をもって対応する職員がいる。
 その人は、ケアの対象を軽んじているのではなく、悪意があるわけでもない。その対象に意思がないと思っている、一人の人間としての”人格”を見いだしていないのだ 


 迎えにいった時の病院にいる看護師のほとんどは、それと似ていた。
 世はコロナ禍で忙しいはずだし、回復見込みのない患者にかまうゆとりはなかったんだと思う。

 意識がほとんどないなか、病室に1人残され、誰も彼にかまわず、暗闇の中にいる気分になり、さらに暗い穴に落とされた夜だったのだろう。

 コロナ禍の医療関係者に人間性を求めてはいけないと思った。


 

ホスピスで感じた本当の幸せ

 ホスピスに転院した時、少しでも命がながらえるなら自宅に戻ろうと、介護の仕方を教えてもらっていた。
 「訪問介護の助けがあっても…私だけで彼を診ることできるかな」と不安になる私に、看護師は手取り足取り介護法を教えてくれた。 

 すると彼が意識を取り戻し「自宅に帰らない」と言ったので、周囲は驚いた。

 
「奥さんの介護の不安を感じ取って、本当は自分の家がいいと思っているけど、病院がいいって言ってるんですよ」 
 私がショックを受けたと思い、看護師さんは口々に慰めてくれた

 でも、私は知っていた。彼は、本当にホスピスがいいと思っていたことを知っていた。

 通いなれた病院で一人取り残された夜、夫は、意思表示できなかったが、意識はあったと思う。

 たった2日間の夜は、彼にとって数百時間に匹敵する暗闇の時間、暗い宇宙空間において行かれた気分だったのだ。

 それは病院だけじゃなかった。自宅でもそうだった。妻は仕事、息子も学校、不安な一日を一人で過ごした
 夜中目が覚めて、家族が起きるまで椅子に腰かけて、待っていたこともあった。孤独だったと思う。

 ホスピスは違う。必要な時に看護師が来てくれる。痛いと言えば処置してくれる。

 それだけじゃない。そばにいなかった家族がそばにいる。妻がずっとそばにいる。呼べば手が届くところに私がいる。

 自宅に戻ったら奪われる時間を、ホスピスなら独占できるだから、彼はホスピスを選んだのだ

 

 大きな窓から青い空がみえる。のどかな風景だった。
 

 この病院で50年前に彼は産まれた。息子たち二人もここで産まれた。
 そして、この病院で彼は最後を終える

彼は、この病院で、自分の最後を終えると、強い意志をもって選んだのだ