第5話【残り0日】”死ぬこと”って、こんなにあっけないの

残り2カ月+α
nini kvaratskheliaによるPixabayからの画像

ホスピスで2回目ハネムーン


 ホスピス病棟に移動して6日目。私の幼なじみの誕生日



 「もう死なせてくれ、おれは疲れた」
 視力がないうつろな目で天井を見ながら、朝から声を張り上げてきた今日は朝から威勢がいい
 


「今日はダメだよ、親友の誕生日だもん。死ぬのは明日以降だよ」

「いーや、死ぬ、もう逝かせてくれ」

 喉奥からしぼりだした声だが、彼の元気さが伝わってくる
 
 

どんな言葉でもいいからいつまでも聞いていたい、と思った




 昼前に、突然「トイレに行く」と起き出してきた


 
 自分で体を起こすこともできなかったのに、すくっと体を起こし、手でベッドを押して、ベッド脇まで腰をすべらせてきた。
ベッドの手すりを取り外していたので、落ちる!と思い駆け寄った。

ベッドに腰掛ける姿勢で、彼は足を床につけたのだ。あまりの突然にその場にいるみんなが驚いた。
 
「動きたいんだね」看護師がすぐに車いすを持ってきてくれたので、彼を車いすに移動させた。

 ホスピス病棟での初の散歩だった
 日が差し込む廊下を車いす押しながら一緒に歩いた。


 
 職員が温かい笑顔で迎え、挙式のバージンロードを思い出した


 結婚式はカナダのバンクーバーで挙げた。大学時代に私がワーキングホリデーで1年間住んで人生を再起動させた場所
 
 人生のパートナーとのスタート地点にしたいと思いたち2か月の準備で決行した。数名の親戚と友人だけの小さい式だったが、温かい式だった


 病院の廊下を二人で歩いたら、あの時の温かさが私たちを包んだのだ。
 
 
 そのままハネムーンに行った気分になった。
 院内のフロアを一周しただけだったが…世界一周している気分だった




 廊下はながく、とてもながく感じたのに、病室に戻ったら10分もたっていなかった。
 彼をベッドに横たわらせた。彼はすぐ寝入った。よほど疲れたか、ぐっすり眠った。


「今日は車いすで散歩したんだってね」と看護師さんが、かわるがわるやってきて、声を掛けてくれた


そして彼は旅立った

 野球部息子が「お父さん今日は元気だから、家に帰って寝ようかな」と呟いた。2日間せまい空間で寝泊まりして息子は疲れたようだ


 
 「病院にいなさい」と、私は、ひとまず引き留めた。今日はいたほうがいい、なんとなくそう思ったのだ。

 夫は夕方まで起きることなく寝ていた。

 仲のいい看護師さんが夜勤で現れた。彼女は、深くゆっくり呼吸しながら寝入っている彼の様子をじっと見つめ、私に病室の外にでるよう目で促した。
 
 そして、私の目を見て、かみしめるよう言った。「覚悟した方がいいかもしれない」
 予想していた言葉ではあった



  
 病室に戻り息子たちに「お父さんの手、握ろうか。もしかしたら最後かも」と言うと、昼間の父をみた彼らは半信半疑だった。

 手を握りながら、夫を見つめていたが、やっぱり寝ているようにみえた。
 
 普段より息が深い。深い、というより、身体全体で息を吸いこみ、しばらく間をおいて、全身で息を吐く感じだ。
 
 私たちは、ゆっくり長い呼吸を、静かに聞いていた。どれくらい聴いていたのだろう。


 彼の手に息子たちと手を重ねて、時間がすぎていった。

 

 息の感じが変わってきた吸う息が浅い感じになり、吐くまでの間が短くなってきた。


 だんだん音がうすくなり、そして……”音”が…きこえなくなった。


 周りから一切の音がなくなった



三人で目を見合わせて、看護師を呼んだ。少し遅れて医師が来て、心音を確認した
「8月18日21時2分。お亡くなりになりました」 



彼の最後の瞬間

”死ぬ”ってこうもあっけないんだ

人はもがいて産道から生まれ出るのに、死ぬのはこうもあっけない

悩み苦しみながら必死で生きるのに、死ぬのはこうもあっけない

死ぬってこういうことなんだね