何もかもが空っぽに
ブログが書けなくなった。書くことがなくなったわけではない
”何かする”という気力が失せたのだ
彼が逝なくなり、1年忌を経て、しばらくすると…ピタッと時間が止まった
仕事のヤル気がどこからもでてこない。「同僚に迷惑かけられない」と気張っても、何もでてこない
毎朝、家をでるのが億劫で、太陽浴びると涙が出てくる。
仕事中にどうしようもない空虚感に襲われ、オフィスの最上階に駆け上がり街をながめ、席に戻る。
帰宅後の暗くなった空をみると、やっぱり泣きたくなった。毎日毎日それを繰り返した。
担当プロジェクトが終了したその日、もうどこにもヤル気は残っていなかった。

休職することにした。本当は彼が亡くなる前にすべき選択だった
けれど、しなかった。
亡くなる1か月前、出勤しようとする私に彼は頼んできた「休んでくれないか。傍にいてくれないか」と
みたことない、夫の弱さにとまどい、彼を抱きしめベッドに寝かせてから、出勤した
その朝が何度もフラッシュバックする
一番必要な時に休職できず、今さら”自分のために休職を選択する”自分を許せない、と思った。
亡くなった人への喪失感とは?
ヤル気のない私をみて「喪失感なんだね」と言われた。
大事な人を失くした時の空虚感のことだろうか。
喪失感をゆっくり味わっていけば悲しみが乗り越えられる、喪失感のプロセスが大切だという
喪失感のプロセス?
言葉遊びにみたいでよく分からない
ポッカリ空いた心の穴をどう埋めていいか分からない。

休職期間に遺品の整理をしようと思っていた。 が、彼に関わるものに触れることすらできず、1か月が過ぎた。
元気を出させてくれそうな、スピリチャル系ブログ、自己啓発系ブログ、占い…読みあさった
元気になりそうだ、と思って外出すると、太陽の光がまぶしくて、泣きたくなった。
一体いつになったら悲しみがなくなり、一体いつになったら自分を責める声が聞こえなくなるのだろう
もう元の自分に戻る自信がなかった
借金はヤル気の源泉
友人に中古物件の下見に誘われた。シンガポール在住の友人は結婚生活30年で離婚。専業主婦から起業を決意し、ひとまず沖縄の活動拠点で物件散策
彼女について回り、数か所見ていると、遠足気分になり、気がまぎれた
「自分の持家に住みたい?」と聞くと、野球部息子は「庭があるなら住んでみたいけどマンションなら今のアパートがいい」。
テニス部息子は「景色がいいなら家欲しいけど、無理だと思うから今のアパートがいい」
私たちは、この長屋的アパートをこよなく愛していた。

シンガポール友人が帰国した直後、不動産会社から「築30年のマンションですが…庭もあり景色も良く、価格も…」。
シンガポール友人は写真と間取りをみていった「条件に合う! 買え! 絶対後悔しない」と
迷ったついでに、あちらの世界が見える人に、夫の気持ちを聞いてみたらこう答えた
「自分の家? そんなにほしいなら買えばいいさぁ。どうせ俺は(この世界で)何もできないんだから」
答えになっていない…。あちらの世界にいっても頼りにならない夫だ。どうしよう…。
銀行ローンの審査もパスした。50代で借りられることにも驚く。
24年ローンにした……80歳手前じゃん。80歳前まで払えるのかなぁ…
でも、まぁ、いいか、払えなくなれば、売ればいい。
ほどなく購入を決意した。
1カ月と数日仕事を休み、心の休養と遺品整理をするはずが何一つ手をつけなかった。その代わり、マンションと24年のローンに手をつけた。
「ふ~、ひとまず、仕事は続けるしかないな」
…というか、なんで、私は、また、何かを背負ってしまったのだろう。
あれっ!?こんなはずじゃなかった。あれっ、私はどこへ行こうとしているの?
ちょっと、愛するわが夫よ、私の選択は正しいの?どこに行くの? 何か答えて!

シンガポール友人は私に言った「借金は生きるエネルギーでもあるんだよ」と
借金エネルギーに押し出されて、私はまた”日常”という日々に戻ることになった