家に植物を置かないで
庭先に小さな木の鉢植えが1本置いてある。家に「緑」をおくのはずいぶん久しぶりだ。
私は、いつも、思い出したように風水に凝り、観葉植物やら鉢植えを買ってきては枯らした。運気アップに緑は欠かせないと張り切っても、水やりを忘れてしまう。
夫は水をささないで平気でいられる私を嘆き、代わりに水をかけてくれた。「枯れるたびに植物が可哀そうでならない。どうか植物を置かないで欲しい」と懇願してきた。
私には植物を育てるキャパなし、と素直に認め、数年前から、風水に緑を取り入れることをやめた

鉢植えをもってきてくれたのは、20年以上前、非常勤で勤務した職場で出会った人
控えめで穏やか。私と対照的なのに、感性やら感覚的な共通性が多くすぐに意気投合。半年しか仕事しなかったのに、何十年も一緒にいた感じでお互いを「ソウルメイトだ」と笑いあった。
(スピリチャルが流行っていない頃に、ソウルメイトの言葉にすんなり馴染んだのも不思議でならないが)
その後、私が就職、転勤、出産、あちらも子育、仕事で、長い間会う機会がなかった。
妹さんをガンで亡くしていた
ちょうど一年前、夫が他界したことを知った彼女から連絡が入った
彼女も妹さんをガンで亡くしていた。診断を受けて2年、夫が逝った直後の9月に妹さんも逝った
末っ子がまだ小さくて、余命宣告受けた時も余力があったのでまだ大丈夫と思った
こんなに急に亡くなるなんて信じられなかった
旦那さんも休職を検討しながら働いていて、こんなに早く逝くと知っていれば…
後悔がありすぎて、多すぎて、辛くなる

最後の症状、患者を取り巻く状況や家族の感情が酷似していて、話せば話すほど、私は胸が締め付けられた。
身近な人が死ぬのではない
「この歳になると身近な人が沢山亡くなる。そういう歳なんだよ。乗り越えなさい」と励ました人がいた。
”歳”なのだろうか。
50歳になったら近しい人は多く亡くなるの? 60歳、70歳なら日常の一部になるの?そうなのだろうか。
違う
歳じゃない
身近な人が多く亡くなるのではない。いつ“死”を身近に感じるかだ。
死は思っている以上に、身近なもので、どこにでもある。それを自分ごとに感じるかは、自分と死の関係性であって、年齢ではない。

今、“死”がこんなにも自分と近いことが切ない。でも、”死”を通して、死を感じた人と、こうして繋がり始めた。
「私は緑を育てる自信がないからいらない」と鉢植えを彼女に返そうとした。
「枯れてもいいから、置いてみて。たまに水遣りしながら、できる範囲で育てたらいいよ。枯れたら、それはそれでいいよ」
相変わらず、自然体の優しさが…心地いい…
今日は妹さんの3回忌。無事終えて帰りますとのLINE
妹さんの子ども達は…旦那さんは…彼女の母親は…と、まだ会ったことない他人を思い浮かべて、想いを馳せる
やるせないけれど、久しぶりにつながる人の声は心を癒し、まだ会ったことのない人への想いで温かくなる
こうして、人と繋がり、私は、私の家族は、人は、彼女の家族は、少しずつ前に進んでいくんだろうね