ユタもどき友人から寿命宣告
「旦那さんの命は3年。3年しか生きないよ」と言われた。
医者にではなく、ユタもどきの友人に言われたのだ。
沖縄には先祖の人が託す言葉や悪霊祓いを生業とするシャーマンのような”ユタ”といわれる人がいて、沖縄の占い師はユタたぐいの能力で先祖の人が託す言葉や未来を見てくれる人が多い。
親友の弟である彼はユタでも占い師でもないが、ユタもどきの能力をもち、いろいろなことが見えるという。
結婚9年目の夏、小学生から知っている友人弟に久しぶりに再会した。ちょうど子どもが欲しくて通院治療している時だった。
子どもが欲しいんだよね、と話したら、空をいったん見上げてから「大丈夫、双子が産まれるよ。上から男の人が見降ろしていて、笑いながら双子が産まれるって言ってるよ」と話してくれた。

笑っている男の人は、私の父だと思った。
莫大な借金を残し50代前半で亡くなった父のお陰で…残された家族はそうとう苦労した。
死んだら上から見ろして見守ってるつもりになってるんじゃないよ、と、心の中で突っ込んだ。
翌月、双子を妊娠した。

第1話も読んでみて
B型妻の「人生悔いのないように」
双子出産が当たったので、夫が癌になった時に友人弟に連絡してみた。
「信じるかどうかは自分で決めるから、夫の寿命が分かるなら教えて欲しい」と言うと、答えは3年だった。
腹をくくった。
これからの3年は家族で作れるだけの思い出をつくろう、と決めた。
3年の寿命宣告で意識が変わった。「子ども達と少しでも多く思い出を作って、せめて、母子家庭じゃない、と実感させたい」と思った。前向きB型の本領発揮である。
そして当初の言われた3年を見事クリアし、夫は6年生きた。
この6年間で、国内旅行はもちろん、ハワイに4回、カンボジア、シンガポール、フランス、韓国、台湾にる旅行し、週末はママ友家族とキャンプや飲み会に明け暮れた。
所得に合わない豪遊ぶりに「宝くじでも当たったの」と言われたが、説明が面倒だったから当たったことにした。
最初のがん診断から3年が過ぎたので、彼に”3年寿命宣告”のことを話した。彼は「ここ数年、お前が優しかったから怪しい、何かあると思ったよ」と笑い飛ばした。
周囲も「その占いは当たらなかったんだよ」「医療技術も向上しているから生存率は高いんだよ」と冗談を交えた笑い話で終わった。
”3年寿命宣告”には続きがあった。「3年以上生きたとしたら、その後はすごく苦しい闘病になる」という続きだった。
でも、それは誰にも話すことができなかった。
だから、頭の片隅には「もしかしたら」が離れないまま、後悔しないように過ごすことに努めた。
金銭面の不安はなかったわけではないが、不安に向き合う勇気も気力もなかった。
日々をただ、ただ、家族で過ごす、思い出を作ることに没頭し過ごした。
そして、彼は6年を生ききった。
2020年8月、中2の息子二人の手と私の手をとり、眠るように逝ってしまった。

3年寿命宣告は、たかが”占い”の一種だったかもしれない。
でも、3年宣告がきっかけで人生に腹をくくることができた。
そして夫と最後の瞬間まで過ごすことができた。
後悔がないわけではない。毎朝涙がでてくる。
今も不安だ。
私だけで思春期の息子を育てることができるのか、仕事と家事の両立はできるのか、仕事に意欲的に取り組めるのか
不安材料をあげればきりがない。
でも、たぶん、私は前を向いて歩くんだと思う。
きっと”今”を頑張るんだと思う。
今までそうだったように、これからもそうだと思う