「俺は他のガン患者と違う」
その日、ガン患者や家族を対象に瞑想などを行うオンラインイベントに夫婦で参加した。
イベントを主催しているのは高校の同級生で、看護師であり、自身がガンになった経験から、ぴあサポーターとして精力的に活動している。
数年前にFacebookでつながり、夫ががん治療していることを知った彼女は、癌に関わる講演やイベントがあるたびに声をかけてくれた。が、夫は一向に興味を示さなかった。

ガンに罹患、といっても、長期治療の人、治癒した人、再発の不安を抱えている人、環境や性格も違うから、経験者の数だけ症状も態様も異なる。
ガン関連のコミュニティへの興味や関心、受け入れ方はみな違う。
夫も「同じ境遇を慰め合うのは惨めだ」と思ったかもしれない。それとも「不安になるだけだから嫌」たったのかもしれないし、俺は前を向いているから必要ないと感じたのかもしれない
私は、偏屈な性格の夫に無理強いできないと、なかば諦めていた。
同級生の彼女は、ガンを抱える様々なタイプを熟知していたので、さらりと誘うのみだった。
踏み込むことも…大事
頑として受け入れなかったガン関連コミュニティだったが、体力が急激に衰えてくると夫の態度は変化した。
コロナウイルス感染症突入1年目。人と会うことがはばかられ、外の空気を感じる機会も少なかった。
体力の落ちた最後の数カ月、夫は、家族とゆったり過ごすことを好んだが、やっぱり、誰かと不安を孤独を共有する場が欲しかったのだろう。
マインドフルネスという瞑想を取り入れたZOOMでのオンライン・イベントの声かけに、「参加してみようかな」と初めて前向きに答えた。
そのオンラインイベントが初ZOOMだった
コロナ禍すでに3年目の今なら、ZOOM会議は日常茶飯事だ、初ZOOMに四苦八苦。カメラ機能のオフすら分からない、私達夫婦だけ顔出しができなかったが、なんとか参加した

入室すると、そこには静かな空間が広がっていた。ガンの長期治療の人、完治した人、夫は画面の一人一人をじっとみつめていた。
落ち着いた声調で瞑想を誘導する医師は、医者というより牧師みたいだった。
夫は、瞑想への誘導をココチよく受け入れていた。すーっと落ちていくように瞑想へはいっていく。
それまで見たことない夫に、私も久しぶりに気持ちが和らいだ。
西洋医学のイメージとはかけはなれた空気だったが、心が落ち着く空間だった。
夫は「とても良かった。また参加したいな」と満足げに呟いた。その後、同じイベントに誘われた時には、もう参加するだけの体力は残っていなかった。

もう少し早くこんな機会に参加していたら、人生最後の数カ月は違うものになっていたかもしれない、もう少し強引に誘うべきだったなと後悔することがある
ガンを患う相手の気持ちを尊重することはとても大事なことだ。
けれど、少しだけ相手の心に踏み込むことも必要だと思う。
身近にいる人に必要なのは、その人に踏み込む勇気なんだ、と今改めて感じている