バカにしていた友情論
「友情とかほざくのって自己満足だよ、一人ヤッテル、自慰行為だよなぁ」
夫は、大学時代から、お下品ジョークとブラックユーモアで、(多分)友人から好かれていた
記者になってからは、トゲがでてきて「仲間? 友情? そんなこと言う前に仕事しろよ」と学生時代の仲間とは距離を置き、仕事中心の生活にシフトした
大学の友人で職場の入社が同期の友人がいる。夫と彼は、新聞社を受験するために大学を留年していたので、記者になったプロセスは似ていた。が、性格は全く正反対だった。

友人の彼は、愛情豊かな人で、友情や絆を信じ、それを素直に表現する。見た目の印象も穏やかで優しいので、およそ”新聞記者”という人種には向かない人だった
(※世の中の記者のみなさん、私の独断と偏見にまれた記者イメージですので気にしないでください)
夫は、私立高校出身の彼に「金かけて学校を出てもろくな奴にならない」といい、彼が運動部を担当した時は「大人が金を搾取している甲子園を美化するな」と、ふっかけた。
夫に何を言われても、彼は「相変わらずやっさ~」といつも笑って返す。その”お人好し”さを夫は楽しんでいた
夫が3度目の転移手術になり、体調がおもわしくないことを聞きつけた彼は、職場の同僚や大学の友人に声をかけて、夫を励ます寄せ書きを集めていた。
夫は、励ましのメッセージとか”目に見える友情”をあまり好まないので私はあえて伝えなかった。元来のひねくれ屋が、”ありがとうの反応”をするわけがないと思った
主治医が暗に余命にふれた日から3日後、彼は夫と会っていた。その時のことを私は詳しく聞かなかった。夫が旅立ち、日記を開いた
7月13日:日記に綴られた友情
『夕方5時半、彼が仕事帰りに自宅に来てくれた。前から会いたいと何度も妻に連絡をとっていた。
今年1月以来、久々に会うことになった。
だいたいの病状は説明した。会社の様子や彼の新しい仕事内容について1時間ほど話した。余命について話したら自分が泣いてしまった。彼は落ち着いて、肩をたたいて慰めてくれた。
「お前が言ってた”人間はいつか死ぬ、その時どれくらい幸福だったか言えればいい”っていう言葉、俺も信じている。お前は幸せだよ。息子たちも分かってるよ」と言ってくれた。
気持ちが楽になった。互いにハグして別れた。
人と話すことがこんなに大切なことだとは知らなかった。人と人とのつながりは大事だ、と痛感した』

日記を閉じた
友情のとらえ方は、年齢や立ち位置で変化する。だから、夫が”友情”みたいな概念を斜めにとらえていたのは事実だ。それでいい
ただ、自分の命の限界を前にした時、こんなに素直な感情で向き合っていた、ということに驚いた
夫に寄せ書きのことを話していたら、もしかしたら受け入れていたのかもしれない…
私も”寄せ書き”が苦手だ。ため息つきながら、お付き合いで書いているイメージが払しょくできない。私こそ、夫に負けないくらい”偏屈野郎”だと思った。
夫は、記事の内容や見出しの良しあしについて、事あるごとに電話していた。
私も大学時代からずっと一緒のつもりだったけど、夫と彼には”二人の時間”があったのだ。
夫は、向こうの空から、きっと素直に「ありがとう」と答えているんだろう