第12話【残り9日】毎朝送られる夫を支えたLINEのオハヨウ

残り2カ月+α

夫が惚れこんだ毒舌な取材相手

 

 夫が新人記者の頃に出会った取材相手がいる。
 
 政治や社会の裏側、汚れた部分を知り尽くし、新聞記者の考え方をこきおろし、人権を語ろうものなら何をほざいている論で切りつけ、「しょせん君らはおぼっちゃんの世間知らず」と刺す。
 

 夫に負けない”毒舌野郎”がいたことに最初は驚いた。

 政治思想から教育観まで、夫とは正反対の相手だが、夫は、彼に負けじと反論して飲むのがこのうえなく楽しそうだった。

 組織の兵隊的立場の役職、自分の立ち位置をふまえつつ、肩書や権力におもねることなく、自分の価値尺度持って生きている
 ぶれない彼の生きる姿勢に、夫は心底、惚れこんでいるのが分かった。



 私が「刺すような言葉を使うけど、魅力的な人だよね」と誉めると、即座に忠言。
 
 「女性にもてるけど、気をつけろよ。友人の妻だろうが、すきあらばものにする人だからな。人として信頼しているが、男として信用はしていない」
 そうとう惚れこんでいるな、と思わず笑ってしまった

毒舌仲間と最後の夕食会

 5月になって、90kgの体重も20kg以上落ちた夫は、そういう自分をみられたくないのか、人と会いたがらなかった。

 そんな夫が、”毒舌友人”と後輩に会いたいという。その後輩も、シニカルで、よく泥酔し記憶をなくしてやらかす点が夫とそっくりだった。
 
 すぐに連絡をとり、家で夕食会をを開いた。夫は酒が飲めなかったから、紫のジュース(アサイー)をワイン気分を味わないながら終始、上機嫌だった。
 
 会合の終わりがけ、自分の病状を話し「おそらく3か月から6か月しかもたないと思う」と言った。二人は静かに聞きながら酒を交わした。
 「何を根拠にそんなこと言うの」と言いつつ泣いたのは私だけだった。

毎朝の小さなコミュニケーション

その日から、毎日、三人のLINEメッセージが始まった。
「おはよう」「おはよう」とそして夫が「おはよう」と返信。時どき風景の写メが送られてくる。

後輩のLINEより

 7月、夫は、また彼らに会わないかとLINEした。「相手も忙しいはずだから8月でいいんじゃない」と言うと「そうか。じゃ8月にするか」と彼はあきらめた。


 
 夫からのLINEは、8月11日で終わっていた。水道の蛇口の締め方が分からず、電気の点灯スイッチをどうしていいか右往左往し、眼鏡のかけ方を私にきいた朝だ。

 


 


 
 毎朝、夫は一人だった。妻はバタバタと朝食を作り仕事の準備、息子たちは朝食を駆け込み追い立てられるように学校へ、そして息子を追いかけるように妻が出勤。
 
 夫は、息子と妻を見送った後、独りで何を考えたのだろう。

 死を考え、何のために生きているかを問い、気力のない自分と向き合った

 そんな時、毎朝送られてくる「おはよう」のメッセージがどれだけ彼を勇気づけたことか

潤沢な言葉も励ましもいらなかった。必要なのは「おはよう」の一言。そこに込められた温かさと希望と愛を、毎朝、浴びていたんだ。


 

 携帯の使い方も分からなくなっていたあの朝、夫が送った「おはよう」のメッセージ
 
 

 自分の意思で身体を動かせる最後の動作が、そのメッセージの送信だった