第28話 遺族にかける適切な言葉とは!?

ちょいホッコリ話
Piyapong SaydaungによるPixabayからの画像

弔問客の傷つく言葉の波

 「死んだ人はもう戻らないから、がんばるんだよ」 夫が亡くなってから、よくかけられた言葉

 心の中で「死んだ実感なんてないのに、どう頑張るんだろう」と反問する

 夫が亡くなって多くの人が弔問してくれた。ありがたいことだ。ありがたいはずなのに、イラっとしている“ちっちゃい人間”の私がいる


 
 言葉の波は次々やってきた。

「子供もまだ中学生なんだから、前を向いていかないとね」
 →生きる気力もないのに、どう前を向けばいいのだろう。子どものために何をやれっていうのか

 「時間がたてば悲しみもやわらぐよ」
→そうかもしれない、失恋もそうだが悲しい出来事は時が解決する。だからって…今、“時間”を引き合いにするか? 時が過ぎる以前に、今をどうしたらいいのか、教えて欲しい

 「亡くなっても旦那さんは貴女のそばにいるから」
→えっ、なんで分かるの? そばにいると感じることできるなら泣いてないけど。


 しまいには「この世の使命を終えた、運命だったと思いなさい」と告げる人も。
はい? あなたは何様ですか? 今、使命論を受け入れられる心境だと本気で思っているのでしょうか

 言葉だけが素通りしていく

 なんて狭量な私なのだろう

私もこれまで法事で人を傷つけた

 20年以上前、親戚の叔母が返した言葉を思い出した

 叔母の娘は交通事故で亡くなった。成人式に帰省した友人と楽しい会合を終え、帰宅途中、車が事故にあい助手席に座っていたのだ

 喪主である父親は社会的地位の高い人で、常に威風堂々としていたが、仏壇の前で魂がぬけたように座っている姿はひどく小さく見えた

 焼香しながら、叔母に「辛いですね。お気持ちを察します」と声をかけた

 すると、いつも穏やかな口調の叔母が、キッっと私を向き「あなたに、ホントに私の気持ちが分かるの?」と返してきた

 叔母もあの時、多くの弔問客から素通りする慰めの言葉をかけられ、その度にぐっとこらえていたはずだ

 こらえていた感情が、私の門切り型の言葉で、プツッと切れた瞬間だった

 数年前の友人の伴侶が亡くなった時の法要も思い出してしまった

 友人は高校時代の同級生と結婚し、2人の子に恵まれ幸せに暮らしていた。40代になり独立し起業したばかりの旦那さんは、朝、気分が悪くなり、救急搬送されてそのまま逝ってしまった

 

 焼香で訪ねた私は、かける言葉がみつからず、高校生になった友人の子ども達と学校生活のたわいもない話で長々と居座った
 
 夫を亡くした友人は、私の話なんか楽しくもなんともなかった、言葉は素通りしていたと思う。早く帰って欲しかったはずった


 
 私は、一体、誰に、何を、どう気遣ったのだろうか思い出すだけで穴があったら入りたい気分になる。

自分の誠意を表すだけでいい

 

 大切な人が亡くなった時、遺族にどんな対応したらいいのか、どんな言葉をかけたらいいのか

 

 ベストな答えはないし、マニュアルもない。ただ言えることは慰めることはできないということ



 だから、話題を選んだり言葉を並べる必要もない
 

 

 取り繕うことない、素直な感情でいい

 

 一緒に泣いてもいいし、黙って頷くだけでもいい 寄り添うだけでいい気がする。

 

 
 自分が最善だと思った寄り添い方が相手の気に障ることもあるかもしれない

 それでいいと思う。そこに誠意さえあれば、素通りした言葉は、いつかその人に届く



 弔問で言われた言葉は、時の流れとともに胸に染みる今、私は、弔問に来てくれただけでありがたいと素直に感謝している