第71話 いつも忘れられる誕生日

ちょいホッコリ話

私の誕生日

二人の息子が毎年忘れる私の誕生日がやってきた。きっと、今年も忘れている。

律儀な義母から「誕生日おめでとう」と電話があった。

仏壇に線香を立てた。
考えてみると、私達夫婦は誕生日や結婚記念日とか、その類をほとんど祝うことがなかった。

へそまがり夫は、記念日を祝うより、普段仲良くやっていればいい、言葉や形にする必要はないと言っていた。

私も、奥様の誕生日に花を贈った同僚に「げっ、仲いい夫婦の演出感満載」と嫌味すらもらした。
夫以上にへそ曲がりな性格なのは私だった。

こういう親に育てられた息子たちだ、母親(私の誕生日に気づかないのは無理もない。

念のためケーキをワンホール買って冷蔵庫に入れて仕事に出かけた。
帰宅したら、息子たちは何も言わない。
悔しいから夕食卓に料理を並べ、友人と飲みにでかけた。

翌日、平日朝のドタバタ劇のなか「お母さん、昨日、誕生日だったんだけど」とつぶやいてみた。

息子二人は少し驚き顔を見合わせた。
息子①「えっ、そう…、あっ、おめでとう」
息子②「えっ今日だっけ…、明日じゃなかった?」

息子たちに反応にムラっと沸く違和感。腑に落ちない。

「あなたたちは自分の誕生日には、プレゼントくれと要求するくせに、母親の誕生日は忘れるんだ。私は祝ってもらったことない。これってフェアじゃないよね」

立ち上がり、付け加えた「決めました。今後はあなた方二人の誕生日にプレゼントはあげません。お母さんはショックです」と。

息子二人は呆気にとられていた。
今まで記念日にこだわったことない母親の突然の変化にとまどった。

私も、なぜ自分の誕生日に突然こだわったのか、分からなかった。
ショックを受けてる自分に自分でも驚いた。

出勤し、同僚にケーキの差し入れをした。
理由を聞かれたので「自分の誕生日ケーキです。息子に祝ってもらえなかったから持ってきました」と、笑いをとることで気分を持ち直した。

使うことのなかった化粧品

夫が亡くなる2年前、私に化粧品をプレゼントしてくれたことがある。

「沖縄ブランドで良い商品だと思う。使って感想を聞かせて」と照れながら言った。
その店で時間をかけてブランドのコンセプトや品質の説明を受けたと、言っていた。

あの化粧品を贈ってくれたのは私の誕生日だった。

当時、私はほとんど化粧をしなかった。いつか使おうと思いながら、忙しさで手を付けることがないまま終わってしまった。

処分できないまま目の前にあるその化粧品に、あの日恥ずかしそうに贈り物をした夫の顔がリンクした。

勇気出して私に示した夫の思いやりを、私は無駄にした。
思いやりを無視した反撃を、今、ダブルパンチで喰らってる。

沖縄のガンジーのように

数日後、帰宅部の息子が誕生日おめでとうと、LINEスタンプをプレゼントしてくれた。素直に嬉しかった。

野球部息子も花束と手紙を差し出した。「ごめん。遅れたけど、おめでとう」と、恥ずかしそうに部屋を出た。

へそまがり夫婦の息子たちは、自分で間違いを修正できる人に育っているようだ。

私の機嫌はすぐに治り、何事もなかったかのように平穏な日々に戻った

私も、間違いと思ったことは、修正しながら生きていくようにしなくては。

曲がったへそをちょちょっと修正しながら、当たり前の小さな感謝を身近な人にきちんと伝えられる人になろう。

私の誕生日はマハトマ・ガンジーと同じ日。少しは非暴力と平和の爪の垢を煎じて飲まなくては(笑)