知事が亡くなった日
2022年9月11日、沖縄県知事選挙だった。
4年前の2018年8月、翁長知事は在職中に膵臓ガンで亡くなった。夫と同じ病院で治療を受けていた。
翁長知事が亡くなった前日は、夫は、1回目のガン転移の切除手術の日だった
手術は9時間くらいで、前回と比べると短い時間で終了し、翌日、ICUで意識が戻った夫をみて安心し、いったん自宅に戻ろうと院外へ出た。
すると、目の前にはカメラをかまえた人だかりの山ができていた。その時、初めて、翁長知事が亡くなったこと、ガンだったこと、治療していたのは夫と同じ病院だったことを知った。
すぐさま、ICUに戻り、知事の訃報を伝えた

選挙情報をいち早く入手することを生き甲斐にしていた夫は、目覚めて、同じ病院で知事が亡くなったことを知り、驚いた以上にもどかしかったに違いない
もっと情報を入手したい、詳細を探りたい、同僚に伝えたい、でも術後の身体は思うように動かない、そんな自分に苛立ったに違いない
「余計なことしないでお願いだから安静にして」と忠告して病院を後にした
知事の闘病に重なるもの
歴代の沖縄県知事は8名。どの知事も、沖縄の復興を願い、沖縄にかける情熱や思い、信念の強い人だったが、翁長知事は際立っていた気がする
「イデオロギーよりアイデンティティ」を掲げ、国政与党の政党の重鎮として長く県政に関わていながらも、知事になってからは基地問題で国と対峙した。
「うちな~んちゅをうしぇーてぃないびらんど(沖縄の人をなめてはいけない)」保守・革新とわず、多くの県民の胸に響いた言葉だった。
沖縄のひとつの時代が終わったなと、一抹の寂しさを感じた

テレビ画面に知事の訃報を伝える病院長が大きく映っていた。夫を3年間担当していた主治医で、ガンの進行がステージ4aであることを告げ、20時間に及ぶ最初の手術の執刀医でもあった
包み込むような穏やかな風格に、夫は「なんだか治る気がする」と言っていた。勇気づけられたのは確かだった。でも、知事は亡くなった。
夫だって、1度目の転移とはいえ、今回はリンパへの転移もありそうだし、これから一体どうなるのだろう。
夫や家族に起こる「これから」を考えると、ぼんやりとした不安に包まれた。駐車場までの暗くなった路地を、ゆっくりかみしめるように歩いた
選挙談議は夫婦のイベント
夫がガンになってからは、いつも一緒に投票所に足を運んだ。
前回の県知事選挙の時に手元にあった2枚の投票所入場券、今回は1枚しか届かなかった
投票所をでると、夫とすぐ目を合わせて「誰にいれた?」と聞き合い、驚いたり、ヤジったり、喜んだりした
選挙結果を”酒の肴”にして過ごす夕食居酒屋が私達夫婦の恒例行事だった

夫は、今回の選挙結果をあちらの世界でどう分析、批評しているのだろうか。
聞いても答えは返ってこない。仕方ないから、仏壇の前に居座り、私は、こうしてブログを書きながら、ひとり語り続ける(笑)