口ぐせは「人間はいつか死ぬ」
「人間はいつか死ぬ、どうせ死ぬんだ」大学時代から、夫は好んで”死”を話題にした
時には「人間たる”死ぬこと”なんだ、死への存在だよ」と哲学者を引き合いに出した
時には「人間は物質の結合体 死んだら分解するだけ」と物理学を引き合いにだした
社会人になっても同じだった
時には取材での死体を引き合いに「腐った死体の臭いはこうなんだよ」と言いながら、”死ぬこと”の自論を展開した。
周囲は、また死ぬ話がはじまったと呆れた
これって余命宣告なの?
2020年の春に3度目の転移が分かり、7月末には並行して放射線治療が行われる予定だった
この日、担当医に質問した「夫の体力はこの3か月でかなり落ちている、放射線治療は本当に効果があるのか、治療を続けたほがいいのか」
担当医は、ひと呼吸おいて「現時点で最善な方法を提示している」と言い、やんわりとした表現で、終末ケアの選択が示された
終末ケアって…治療をやめて痛みを和らげながら最後の人生に向き合う…いわゆるホスピスってやつよね
つまり、これは「余命宣告」なの??
余命宣告って、医者から仰々しく呼び出され「あと何か月です」って告げられて、ジャジャーンってショックって感じ…じゃないんだ

夫は、担当医の言葉ひとつひとつに頷きながら、治療を継続したいと言った
余命宣告があまりにも淡々としていて、私には実感がなかった
夫を自宅に送る車中で「ホスピスを見学してこようか」と私が言い、彼は頷き、会話はそれだけだった
私はまた仕事に戻り、淡々と仕事をこなした。仕事が終わり、帰り道同僚に声をかけられ、彼女の前で子どもみたいに声をあげて泣いた
親密な話をしたことない同僚は、突然、素をさらけ出されて言葉を失っていた
帰宅してからも夫と終末ケアの話題にふれることはなかった
息子に告げたお父さんの本音
亡くなる数日前のホスピスで、夫の顔を眺めていたら、テニス部息子がつぶやいた
「そういえば、お父さん、もう少し生きたかったな、って言ってたなぁ」
病院で告げられたあの日の夕方、夫は息子に「もう少し生きたかったなぁ」と話したらしい。
彼は生きたかったんだ…。

大学時代から「人はいつか死ぬ」を繰り返していたし、社会人なってからも、子どもができてからも
「人は死ぬ」がお決まりの言葉だった
だから…”死ぬこと”の覚悟はできている、”死ぬ自分”への準備もできていると思ってた。
でも、死にたくなかったんだ。
そうだよね
死を語ることと「自分の死」を感じることは違うもんね
死を感じたんじゃない。「生」へ執着したんだ。
いや、そんな”理屈”ではない。
テレビを見て笑ったり 子ども達と学校の話をするのが楽しかった。息子の野球やテニスの試合がもっと見たかった、彼らが成長していく姿が見たかった
何気ない時間を家族で過ごしているうちに、もっともっと一緒に時間を過ごしたい、って思った
やりたい事がどんどんできてきて、”やりたい”の延長線に、彼の生きたいという願いがあったんだ。
あの日、彼は心の底から、生きたいと叫んでいた。
私はそんなことも気づかなかった