駐車場で転んだあの日
その日、いつものように駐車場で夫を待っていた。卵が大好き我が家は、発酵飼料で育てた鶏の卵を食卓にあげて10年以上なる。
安価で健康にいい卵を買うため、2週間に1回、その養鶏場へ行くのがルーティーンのドライブとなっている。
駐車場で夫を待っていると、突然、ドサっという音がして車がかすかに揺れた。
「んっ?この音は何?」 約2年おきに車の物損事故を起こす私は即座に反応した
車がぶつかった音じゃない、鳥? ボール? 気のせい? でも確かに車に何かあたった音だ。
車外へ出た。そこに夫がうつぶせで倒れている。
そして、えへっと苦笑いしながらゆっくり起き上がってきた。「足があがらなかったな」と呟く。
手のひらに血がにじんでいた

その頃から薬を飲みこむのが辛いので、ゼリーといっしょにやっとの勢いで薬を飲むようになった。朝食も温泉卵と味噌汁だけしか口にしなくなった。
そして夫はよく眠った。一日の半分は寝ていた。ベッドに横たわるとウトウトと眠り、椅子に腰かけてはウトウトする
「ゴメン。今日も一日眠っただけで終わった、何も家事ができなかった」と謝る。私は、眠りは体力の温存になるからと、逆に安心していたのを覚えてる
ググれば分かったかもしれない
彼が旅立った後、数年ぶりに看護師の友人と会った。彼女は訪問看護を担当していて重度障害や終末期の患者をずっと看ている。
夫の最後1か月の状況を話したら「そうだよね。終末期の人にとって、ティッシュ一枚、紙一枚が石よりも重く感じるんだよね」と。
えっ、ティッシュ一枚が重いなんてことが…あるの…
その前日、情報機器に詳しい上司に「スゴイですね」と言ったら「私は別にスゴくないです、ググればでてくるとおりのことを、やっているだけです」と、あっさりと返答されたことを思い出した
ググればなんでもでてくる、なら、ためしに「末期がん」「症状」「死」のワードを検索してみた
「終末期の患者に多く見られる特徴は…」夫の症状に当てはまることがいくつもでてきた

あの日、駐車場で転んだ時に、私がネットで検索していていたら、夫の症状は亡くなる直前の患者だと気づいたかもしれない
ネットの情報が全てではないことは分かっている。でも…ググっていれば、もっと違う対応ができたかもしれない、何かできたことはあったはずだ
帰宅して冷蔵庫の食事に手をつけていない彼に「昼食抜いたら体力がもたないよ、食べようと思わないと、気力に負けるよ」と苛立ったことがある。
けれど、紙が石のように重いなら、カップを持つことも辛かったはず、いや、ご飯を口にする気力するなくなっていたはず。
彼の身体には、すでに、”少しの気力”しか残っていなかった。それに私は気づかなかった
彼が逝なくなった後、今さら、ネットで検索している自分がひどくこっけいに思える
数秒でググることができる時代に、ググることすらせず、夫のことを終末直前とも気づかなかった私は…いったい何ものなんだろう
「それがお前らしいさ」とアナタは笑うんだろうね。でも、やっぱり、後悔という波が押し寄せる。
もう一度時が戻せるなら、17日前のあの日に戻りたい。そしたら、彼にやってあげられることがある。 大きなことは願わない。だから、せめて、あの駐車場で転んだ日に戻してほしい
