第75話 シンガポール・マダムの風

ステキな人々物語

マダムがやってきた 

仕事に忙殺された2024年12月、シンガポールに住む友人がやってきた。
中学からの親友である彼女は、このブログを読んでいる方にはお馴染みの登場人物。

「中学生に携帯は持たせない」という我が家の方針を「ナンセンス」と斬り捨て変更させ、
元気ない私にオンラインコミュニテイの世界を紹介(流れでメンバーに登録させ、
あげくの果ては家を買えとそそのかし、とうとう私はローンでマンションを購入してしまった。

ブログを読んでいない方のために、もう少し彼女のことを説明しよう。興味がない方はスルーして結構。 

全て私の意思だが、重要な決定に、彼女は何のためらいもなく関わることができるスゴイ性格の持ち主である。

シンガポール・マダムの正体

1992年日本経済はバブルの絶頂期、彼女は高校卒業後に東京へ
20代でアイルランド人男性と結婚し、東京で娘3人出産
のちにシンガポールに移住し子育て

ジョージクルーニー似の夫は、日本語堪能な敏腕ビジネスマン。ヘッドハンティングで高収入、長期休暇は家族でヨーロッパ滞在。
彼女のセレブリティな暮らしは喉から手が出るほど羨ましかった。

だが、彼女の夫は、整った顔立ちから想像できない短気と亭主関白、女性問題。
当人は、数年で日本語が堪能になったので、英語をたらたら勉強する日本人の頭の悪さがムカつくようで、常に上から目線の態度。
それが鼻につき、私はどうしても好きになれなかった。

ということで、結婚後は彼女と会う機会はほとんどなかった。 

ところが、2018年に「離婚したよ」との報告を受けた。

「おめでとう」と心から祝福し、もう一人の親友家族を誘い、シンガポールへ。
彼女のシンガポールの家で、沖縄からやってきた団体家族は、毎晩飲み食いし盛り上がった。


旅行を契機に旧知の仲は復活。
シンガポールマダムは、主婦からの心機一転で起業を決意。
定期的にシンガポールと沖縄を行き来するようになった。

沖縄の食材の効用に惚れ込み、商品開発を始めた。その食材は、癌細胞にも効果があると、試作品のドリンクを私の夫に持ってきてくれた。

1回目のガン転移後でもあったので、持ってきてくれた試作品に、夫は期待と希望を込めて喜んだ。

沖縄に不在の時期は、彼女は夫のことを案じて、自分弟を通して身体に良い食材を集めて届けてくれた。

そのたびに、夫は「ありがたいな」と感謝した。

夫が逝く3日前、沖縄に戻ってきた彼女は病院にかけつけた。
抱えていた発泡スチロールの大きな箱には試作品ドリンクが何本も詰められていた。

コロナ禍で夫には面会できなかったが「(夫に)飲ませてあげて」と持ってきてくれたのだ。 

「ありがたい‥…けど、もう、夫には飲む力が残ってないよ、一滴の水も飲めないよ」と答え、ボックスを受け取った。

そして、夫は本当に一滴も飲むことなく逝ってしまった。 

マダムの現在

夫が逝ってからも、マダムとは、毎年、数日を一緒に過ごしている。

ただ、今回の帰国、シンガポールマダムの雰囲気はガラリと変わった。


末娘が米国の大学を卒業し就職、イギリス暮らしの長女と次女は結婚、孫が産まれた。あんなに起業しようと頑張っていた彼女だが起業はしばらく中断。

趣味のアルゼンチンタンゴを軸に自分の人生を生きていきたい、と言う。

人生のほとんどを自分以外の人のために生きた彼女が、自分のために生きようと決心している


私たち世代の誰もが直面するセカンドライフ(サードライフ?)への道を、彼女は歩き始めたのだ。

シンガポールマダムの彼女には、伝える「ありがとう」がないほど感謝している。

マダむの決意を心から激励したい。