我が家は「寺内貫太郎一家」だった
「寺内貫太郎一家」というドラマがあった。
古きよき昭和家族のドタバタ物語で、番組のなかで必ず殴り合いのケンカになる。体重100㎏巨漢の頑固おやじ(小林亜星)が息子(西城秀樹)とケンカし、障子が破れ、庭に投げ出されるシーンが子ども心に焼き付いていた。
時は何十年もたち、そのシーンは目の前の我が家で繰り広げられた。
原因はたいてい、テレビ番組のとりあいだった。
「お父さんがみる時間だろ」「なんで俺たちの好きなものをみせない、クソっ」「誰に向かってそんな口を利くか~」と取っ組み合いになる。
子ども達が小5くらいまでは、大柄な夫がケンカは優位だった。
野球好き息子は勝気だから、小さい時から父親にタックルする勢いでぶつかり、全身はねかえされてもあきらまず、負けたと悔しがって泣いた。
寺内貫太郎一家とただ一点だけ違うのは、母親である私が、小学生相手に真剣にケンカして夫にブチ切れて、途中から参戦したことだ。

小6ぐらいからは戦いは互角になってきた。夫がはねかえされることもあり、その取っ組み合いで引き戸が壊れ、壁に穴がもあいた。
ママ友から「親子で傷害事件のニュースがあると、何が原因でこうなるんだろうって思うけど、まさか大けんかの末に事件とかにならないよね」と冗談まじりに言われたことがある。
こんなに激しい親子げんかを続けていたら、いつか事件になりかねない。しかも原因がテレビ番組だったなんてことになったら、笑うに笑えない…。息子がテレビで父親を恨む前に家を出ようと考えたこともあった。
誕生日プレゼントに野球バット
野球好き息子の小学校最後の年だったか、誕生日プレゼントに1万円台のバットを買ってあげた。
よほど嬉しかったのか、その日からほぼ毎日、居間で素振りをするようになった
夫はその様子をみて「コイツ、俺が寝ている時に俺を殴り殺しかねん」と笑った
このブラックジョークには全く笑えなかった。自分の息子のことを「俺を殺しかねん」と表現するのは、親として人として信じられないと、本気で怒ったこともあった。
日記に綴られた愛
夫が最後に入院した時、テニス部息子が「そういえば、お父さん、日記に野球部息子の素振りのこと書いていたよ」と言った。
「お父さん、日記書いてたんだ?」と驚く私に擦り切れたノートを見せくれた
7月から8月までの日付で3ページ。数枚しか書いていない日記だった。
7月7日、最初のページは野球部息子のことだった。

『昨夜、息子は帰宅後もがんばっていた。アパート駐車場でボールの壁あて。
周囲の暗闇がどんどん深まる中、ボールを壁にあててひろいつづけ、疲れると座って壁に向かい水稲でのどを潤す。
誰のためでもなく、ほめられるためでもなく、自分がやりたいから、決めたことだから、楽しいからやる…
その姿に感動した。通りがかったおっちゃんとも挨拶をする姿にも息子の成長を感じた。
嬉しくてなんだか涙がにじんできた』
夕方、夫はベランダに出てよく景色を眺めていた。あの時、駐車場を見下ろし、素振りをしている息子をずっと見ていたんだ。
体中が痛み、生きる気力がなくなりかけ、不安でつぶれそうになった時、一生懸命野球に打ち込んでいる姿に生きる希望を感じていたのかもしれない。

日記の文字からあふれてくる愛情が切なかった