第77話 リヨンに心を馳せて

ステキな人々物語

いざ家族でフランスに

パリに暮らす友人から新年祝いのLINEがきた。

彼女は夫の高校の同級生で、大学卒業後に中国留学し、中国赴任のフランス人男性と出会い結婚した。

私とは大学時代に知り合い、フランスから帰国したら会って語り会う仲になっていた。

「いつかフランスに遊びに行くね」と言いながら20年以上過ぎた。

「沖縄の友達はみんな、遊びに行くよねって言うけど、誰も来ないよ」と彼女が愚痴ったのも気になった。

2019年10月、夫が亡くなる10ヶ月前、私達は、当時リヨンで暮らす彼女に会うためフランス旅行を決めた。

がん転移の手術から2ヶ月しか経っていないかったので、担当医は「海外に行くんですか、と怪訝な表情をした。

そのリアクションに不安を感じないかったわけではない。
けれど家族旅行は私のノルマ的目標。「今しかない」とフランス旅行を決行した。

暮らすようにリヨンで

彼女はニースからリヨン郊外に引越し、仕事を始めていた。
大学生の娘と高校生の息子は二人とも寮、夫はパリに単身赴任で、部屋が一室空いていると私たちに用意してくれた。

彼女の住まいを拠点に、私達家族は、バスや地下鉄を使ってリヨン市内を散策。
仕事で忙殺される彼女をよそに、のんびりと、リヨンの名所を巡った。

バスで揺られながら、寄り道しながら、マルシェで買い物しながら、道に迷いながら、「フランスで暮らすってこんな感じかな」と、ゆったりと時間を使った。

彼女は、帰宅したら手早く夕食を準備。私たちは近くのスーパーでワインを調達。
飲みながら、大学時代に戻った気分で語りあった。

彼女から繰り出す話題は、フランス語習得の難しさや福祉制度、国民性の特徴まで幅広い視点とシニカルな笑い。毎晩盛り上がった

何事もなく過ごしたリヨン滞在の終盤にその出来事は起こった。

彼女の運転でリヨン郊外を観光し、小洒落た地区で小洒落たランチをした。

夫はビールを飲みユッケを食べた。

その後、地元のショッピングセンターに寄り、夫はトイレに行った。
が、30分以上経ってもトイレから出てこない。夫がやっと現れたかと思うとズボンが濡れている。

理由を聞くと「大便を漏らしたから下着とズボンを洗っていた」という。

夫は高校時代を過ごした彼女に対し、恥ずかしそうに、申し訳なさそうに、何度も頭を下げ、謝り、下着とズボンを購入して着替えた。

彼女は、世間話を聞くように受け流し、「クリスマスプレゼントを買わなきゃ」と、何ごともなかったようにショピングに戻った。

そして、何もなかったように、夕方の食卓で彼女の手料理を味わい、私達家族は、何もなかったようにリヨンを後にした。

異国の彼女

異国で暮らす彼女は30代前半で乳がんの治療をした。
小さな子供を抱えて帰国した時に、彼女から聞いた“がん治療の話”は、私にとって他人事だった。

夫が癌になったと聞いて、彼女は心配してすぐメッセージをくれた。

家族でのリヨン旅行を打診した時も「術後なのに大丈夫なの?」と夫の体を気遣った。

異国で結婚、子育てをして、言葉の障壁の中で想像できない寂しさのなか、ガン治療の不安と辛さを経験した彼女の優しさは深かった。

リヨン旅行をした時、夫の体力はすでに弱っていた。
予兆は既にあの時にあった。

何をあんなに焦って旅行したのだろうか。予測できなかったと言いつつ、死を前提に思い出づくりに励んでいたようだ。

夫の体力を無視したあの旅を、後悔しないわけではない。

でも、私たち家族が、暮らすように過ごしたリヨンの時間彼女の優しさは、紛れもなく心地よく素敵なものだった。