第21話【残り4日】ホスピスで口ずさんだのは大学時代の唄

残り2カ月+α

大学の拠点は”私の店”

 「♪いつも一緒にいたかった、となりで笑ってたかった。季節はまた変わるのに心だけ立ち止まったまま♪」
 
 ホスピスに移って2日目。
 意識がもうろうとし、ぐったりしている夫の手を握りながら、口ずさんだのは、プリンセスプリンセスの「M」

 そういえば学生の時よく歌った。

 高音が苦手な私が半べそかいたとき、私を助けてかぶせるように歌ってくれた。
 
 私の店では定番の曲だった。
 

 大学2年の時、莫大な借金を残して父が亡くなった。

 生活をするため苦肉の策で、母は”酒を出す店”の開業を決心。大学生の私が店を手伝うことになった

 接客業が苦手な母はキッチン、私はカウンター担当と分業制


 
 高校から浪人時代まで居酒屋でバイトしながら勉強し、私がやっと大学に入学した


 これからは自分の人生だ、と張り切っていた時だった。

 なのに棚から毒もち”は店の手伝いをすることになった

 しかも、酒を出す店かよぉ、とふてくされたが、家計は火の車、ぼやいている暇はなかった

 

 素人親子のやる店が、そう上手くいくわけがない

 繁盛するわけがない。

 そうは問屋が下さない

 

 ‥‥が…上手くいった。
 
 

 

 心配した大学の友人が立ち寄る

 OLの姉の同僚が集まる、

 私の幼馴染が手伝う、などなど…店が上手く回っていったの

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人生の起点となったゼミ

 

 大学生が煙草を吸い酒を飲み歩く時代だった。

 友人が集まり、恋愛や親との衝突、就職の悩みを語り合い飲み明かした

 夫もその一人
 

 夫は当時4年間好きな子がいた。

 夫が失恋した時、再告白して再失恋した時、みんなで”恋ネタ”を酒の肴にして騒いだ
 
 私は私で、しょうもない恋愛しながら、バレンタインデー、クリスマス、正月、自分の誕生日も店で過ごし、そこにはいつも仲間がいた。


  
 夫とは大学の専攻が同じだったがゼミも同じだった


 ゼミといってもサークルのようなもので、酒と葉巻をこよなく愛する教授は、沖縄のアイデンティティを追求。

 ゼミ生も「OKINAWAをどうにかしたい」という熱血漢が集まり、世代を超え、先輩や県外大学生とつながる面白さがあった。

 私も夫もそのゼミで学ぶ楽しさ”を学んだ。



 ゼミの教授は、亡き後の私を心配し、学生と一緒に、私の店に飲みに訪れた(時には東大の教授も連れてきて話題がみつからずさすがに迷惑だったが)

  

 私が就職した後、その店は閉め、教授も大学の拠点を東京に移した。

 社会人になった友人たちとも先輩とも顔を合わせる機会はほとんどなくなった

歌に青春を重ねる

 告別式には、大学時代に騒いだ多くの友人が集まった
 
 某有名大学院退官ホヤホヤの教授は、たまたま沖縄に滞在していた。して、夫婦で通夜からずっと見守ってくれた。


 離婚を必死に止めてくれた先輩は、火葬までずっとそばにいたので、息子たちは”親戚のおばさん”だと信じて疑わなかった。

 

 家族のような心地よさ。同窓会のような温かさ

 悲しさと懐かしさが、交互にまとわりつく不思議な気分に包まれる

 

 山梨から後輩が駆けつけてくれた。その後輩は『壊れかけのRadio』聴くと夫を思い出す、いつも替え歌でうたってましたよ、という
 「いや、十八番はサザンの『TUNAMI』でしたよ。耳にタコができるほど聴いた」と友人が口をははさむ

 

 あの日、私が口ずさんだのはなぜ「M」だったのだろう
 
 理由は分からない

 

 

 あの時、ホスピスの部屋から広がる青い空に夫の歌う姿が見えた。耳に指をそえ、目を細め、上向きにマイクを抱えて歌う姿

 

 あの時かけがえのない私達の青春を、夫婦だけの空間で、味わっていたことだけは確かだった