一年忌前日のイライラ
あ~、ウットウしい。ここ一週間、夫の一年忌法要のことで、身内から電話がなりっぱなし。
「コロナ禍なのに法要やるの?」「親戚だけでいいんじゃない」「人数把握するため告知したら?」
→「とりあえず、やります」「三密対策しました」「お寺の広間を借りたから大丈夫」と返答する。
あ~ウットウしい。1年前のちょうど今頃、夫は生きていた…と思い出にひたっているところなのに…また電話の邪魔が。
「法事のお返しは何にした?えっそんなもの」「法要に必要な重箱は?」「仏壇に供える餅は忘れないでよ」
→「もうやりました」「これでいいと思う」「わかった、準備する」と機械的に返答する。
手伝わない人に限って、いろいろ言ってくる。あ~ウットウしい

お寺との調整や供え物、お返しは、ひととおり準備した。けれど、家の掃除が残っている。
周りを見回すと、鏡でみる私と同じくらい家の中が雑然としている。
カーテンレールがはずれ、仏壇周りに物が散乱し、料理する台所は油汚れがこびりついている。
掃除をしようと思うほど体が動かない。2日間も仕事休んでいるのに、私のヤル気スイッチが作動してくれない。
少しの時間をさく大切さ
「明日は一年忌、ひとまずやるしかない」と重い腰を上げ、台所の前にたった。
油で汚れたアルミの壁紙を剥がしていると、予想通り、指を切った。
おおざっぱな私は、掃除をはじめると、必ず手や足を怪我する。やっぱりケガしたよ、とぶちぶち文句いいながら、無造作に絆創膏を巻き付けた。
掃除するとき、夫は必ず「手袋しろ」と注意したが、私は「めんどい」と聞かないふりをした。
それを思い出し、ビニール手袋を引っ張りだし装着。仕切り直して、掃除を始めると…すべりもよく、アルミも楽にはがせる

「なっ、俺が言ったとおりだろ、手袋するのはほんの数十秒。それで作業が数倍楽になるだろ」と彼の声が聞こえた
「どんなことでも、ほんのひと手間が大事なんだよ」と
夫は「料理も食事もそうだよ。ほんのひと手間でぐっと美味しくなる」とよく言っていた
食事を温めるのが面倒で、冷えたままで食べることが多かった私に「温めたら美味しいのに」と言う。
「私だけのことだから別にいいじゃない」と返すと、「どうせ食事するなら」と美味しいほうがいいさと”ひと手間論”。
「料理って、みりんを足すとか、少し漬けるとか、あく抜きするとか、少しだけ手を加えるだけで格段に美味しくなる」
家事にはまり、料理研究家になり始めた夫は、得意満面に語っていた

そんなこんなするうちに、掃除はどんどんすすんだ。台所はピカピカ、調理する気分もいいし、夕食もなかなか美味しいできあがり。
ふと、法要で口うるさい方々を思いだした。心配してなければ口を出していないわけだし、”思いやり”といえないわけでもないと、とも思えた。
ひと手間論を考えているうちに、私のなかにある”一握りの優しさ”がひょっこり顔を出してきた。
仏壇の周りもきれいに片付いた。「今日も俺が教えてやった」と遺影の彼が笑っている
