第13話 人は迷惑をかけて生きていいんだ

夫の人生哲学

運転免許をもたない夫

 夫の車の運転免許をもっていなかった。沖縄では”めずらしい部類”になる。
 
 バスの利便性が十分でなくモノレールは一部地域走行の沖縄では、交通手段のメインは車である
新聞記者ともなれば、取材であちらこちらを駆け回るわけだから、運転免許をもっていない記者はまれだ(と思う)

 夫は学生時代に運転したことはある。その後、免許の更新を忘れ、自動車運転教習所に再度通い、取り直した。が、いつのまにか免許は失効していた。


 
 結婚前から、休日はデートがてら取材先まで送迎したし365日ほぼ毎日お酒を飲んでるから、朝方お酒が残って車を運転するよりは安心だ。
 
 夫が運転できなくても、ブライべートでは困ることはなかった本人もウオーキングが好きだったし、公共交通機関を上手く利用していた。

 職場では、先輩に運転をお願いしたり後輩の車に同乗したので、嫌味やらジョークを言われていたが”笑いのネタ”として立ち位置を確立していた


 子どもが産まれたら事情は変わった。病院や保育園への送迎、週末の買い物、外への外出はほとんど車で移動となった。
 
 幼子2人をチャイルドシートに乗せて必死で買い物している間、助手席にでんと座っている夫が、だんだん恥ずかしくなった
 
 ある日、馴染みのショップ店員に「主人は二日酔いが多いから助手席に座ってんですよ」と、聞かれてもいないの弁解した。
 すると夫は「はっ、なんでそんな嘘をつく。運転免許をもっていないことの何が悪い。勝手に恥ずかしがっているのは君だろうと怒鳴られた。

 あ~そうですか、は~い、わかりました。恥ずかしがってる私がおかしいです。
 はい、了解しました、はい、今後は正直に申し上げます。
 
 それ以来、私も開き直ることにした

 


 野球好きの息子が小学校3年生の時、少年野球に入団した。少年野球は保護者主体の運営だし、沖縄は野球が盛んな地域。
 隣地区との練習試合ならいいのだが、週末は遠出して交流試合を組むので保護者の送迎が多くなる。
 
 それまで週末にやっていた食料や雑貨買い出しに送迎が加わった。月2回のがん治療通院の送迎もあったし、県外の旅行や海外(ハワイ)でも運転は私…。

 積年の不満はとうとう噴出…
 
 

 「免許ももっていないのに偉そうにしないで、いい加減免許をとってよ、時間は沢山あるでしょ」と、原因と関係なく夫にやつ当たりするようになった。

 
 

 

 子ども達が成長し、お父さんとケンカするようになると、子ども達まで「免許持っていなくて恥ずかしくないの、お母さんがいないと何もできない、いつも人の世話になって」と言い始めた


 
 

 あるとき、こう返ししてきた。「免許がないことは”悪”なのか、人の世話になって何が悪い。誰かに迷惑をかけて生きていることは悪いことじゃない。それでもいいんだ」と

できなければ頼めばいい

 

 助手席に座る夫がいなくなった今つくづく思う。

 夫は車の運転が苦手だった。学生時代に人身事故を起こしたことがあって、重大事故ではなかったが、おそらくトラウマは大きかった。

 でも、本当は、運転したくない理由なんかどうでも良かった


 

 できなければやらなくていい。
 できないことも特性だ 
 できない人は助けを求めたらいい
 できる人がやればいい
 できる人が手を差し伸べたらいい
 

 迷惑かけたらいい
 迷惑かけることをためらわなくていい
 そもそも助けを求めることも世話になることも”迷惑”ではない。

 


 

 それを堂々と主張する夫が好きだった誰よりも尊敬していた
 
 今は空席となった助手席から「やっと分かってくれたか」と囁いている