運転免許をもたない夫
夫の車の運転免許をもっていなかった。沖縄では”めずらしい部類”になる。
バスの利便性が十分でなくモノレールは一部地域走行の沖縄では、交通手段のメインは車である。
新聞記者ともなれば、取材であちらこちらを駆け回るわけだから、運転免許をもっていない記者はまれだ(と思う)
夫は学生時代に運転したことはある。その後、免許の更新を忘れ、自動車運転教習所に再度通い、取り直した。が、いつのまにか免許は失効していた。

結婚前から、休日はデートがてら取材先まで送迎したし、365日ほぼ毎日お酒を飲んでるから、朝方お酒が残って車を運転するよりは安心だ。
夫が運転できなくても、ブライべートでは困ることはなかった。本人もウオーキングが好きだったし、公共交通機関を上手く利用していた。
職場では、先輩に運転をお願いしたり後輩の車に同乗したので、嫌味やらジョークを言われていたが”笑いのネタ”として立ち位置を確立していた。
子どもが産まれたら事情は変わった。病院や保育園への送迎、週末の買い物、外への外出はほとんど車で移動となった。
幼子2人をチャイルドシートに乗せて必死で買い物している間、助手席にでんと座っている夫が、だんだん恥ずかしくなった
ある日、馴染みのショップ店員に「主人は二日酔いが多いから助手席に座ってんですよ」と、聞かれてもいないの弁解した。
すると夫は「はっ、なんでそんな嘘をつく。運転免許をもっていないことの何が悪い。勝手に恥ずかしがっているのは君だろう」と怒鳴られた。
あ~そうですか、は~い、わかりました。恥ずかしがってる私がおかしいです。
はい、了解しました、はい、今後は正直に申し上げます。
それ以来、私も開き直ることにした

野球好きの息子が小学校3年生の時、少年野球に入団した。少年野球は保護者主体の運営だし、沖縄は野球が盛んな地域。
隣地区との練習試合ならいいのだが、週末は遠出して交流試合を組むので保護者の送迎が多くなる。
それまで週末にやっていた食料や雑貨買い出しに送迎が加わった。月2回のがん治療通院の送迎もあったし、県外の旅行や海外(ハワイ)でも運転は私…。
積年の不満はとうとう噴出…
「免許ももっていないのに偉そうにしないで、いい加減免許をとってよ、時間は沢山あるでしょ」と、原因と関係なく夫にやつ当たりするようになった。

子ども達が成長し、お父さんとケンカするようになると、子ども達まで「免許持っていなくて恥ずかしくないの、お母さんがいないと何もできない、いつも人の世話になって」と言い始めた
あるとき、こう返ししてきた。「免許がないことは”悪”なのか、人の世話になって何が悪い。誰かに迷惑をかけて生きていることは悪いことじゃない。それでもいいんだ」と。
できなければ頼めばいい

助手席に座る夫がいなくなった今つくづく思う。
夫は車の運転が苦手だった。学生時代に人身事故を起こしたことがあって、重大事故ではなかったが、おそらくトラウマは大きかった。
でも、本当は、運転したくない理由なんかどうでも良かった
できなければやらなくていい。
できないことも特性だ
できない人は助けを求めたらいい
できる人がやればいい
できる人が手を差し伸べたらいい
迷惑かけたらいい
迷惑かけることをためらわなくていい
そもそも助けを求めることも世話になることも”迷惑”ではない。
それを堂々と主張する夫が好きだった。誰よりも尊敬していた。
今は空席となった助手席から「やっと分かってくれたか」と囁いている