沖縄好きに知っていてほしい歴史【後半】

5分で分かる沖縄
©へなちょこなすび

 

沖縄は47都道府県の一つなのか

沖縄では、沖縄で生まれ育った人をうちなーちゅ(沖縄人)と呼び、県外の人を「本土の人」「内地の人(ないちゃー)」「大和の人(やまとぅ)」として区別します。
 
 沖縄以外の都道府県は46あり、それぞれ県の特徴があるはずです。なのに、ひとくくりまとめて区別するのは、沖縄VS”沖縄とは違う46都道府県”ととらえているからです。
 
 理由はいろいろ考えられますが、私は、沖縄が歩んできた近世以降の歴史の影響が大きいと思っています。

 

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日本人になるための歴史

 琉球王国は「室町時代」~「江戸時代」まで400年続きましたが、明治時代になると事態は一変します。
 
 それまで日本には、琉球を介して中国の利益を得るメリットがありました。ところが、 アヘン戦争以来、中国(清)は弱くなりました。
 
 日本(明治政府)は、清と主従関係のある琉球王国の利用価値はほとんどない、それより日本の領土であることをはっきりさせたよう、と方針を変えたのです。

 1872年、琉球王国は「琉球藩」なり、ほどなく藩が廃止、「沖縄県」として日本に組み込まれました。

もともと日本と主従関係あったんだから、何も変わらんしょっ1

ところが、生活文化への影響はハンパなかったの

 

 欧米に追い付くために近代化を急いだ明治政府は、富国強兵・殖産興業(産業を興して豊かになり、軍隊作って強くなる)を目標にします

 強く富む国を支える”質の良い国民”にするには、同じ言葉で学び、同じ考え方になる教育をします。そして、産業を興し強くなるために資源が必要だから、アジアへ領土拡大していきます。
 

 つい先日まで「琉球王国」だった沖縄は言葉も文化も全く異っていたので、日本人になるため特に力を入れられた地域になりました。
 

 そして、沖縄サイドも独自の風習をやめたり控えたりして、方言を使わない努力して、日本人になる道に向かって頑張ったのです。

今は「うちなーぐち(沖縄の地域語)を話せ」って奨励してんのにね、真逆じゃ

この時期に失くしたものを今取り戻しているんだよね

そして沖縄戦

 大正、昭和と時代を経て、欧米と足並みをそろえた日本は、アジアへ領土を拡大したことで欧米と仲が悪くなります。
 そして…天皇を頂点とする大日本帝国(国体)を守るため、アメリカ・イギリスとの闘いから太平洋戦争へと突入します。

真珠湾攻撃だね


 1944年、沖縄に本格的な日本の軍隊が配置、時すでに戦況は悪化

  国体を守るため日本本土での戦いを遅らせようと、沖縄で時間かせぎの戦いをすると決めました。

それって”捨て石”じゃね


 米軍は55万人に対し、日本軍は6~7万人しかいない、足りないから沖縄の10代~40代の男性かき集めて10万。小さな島で戦うのですから住民も総動員で協力させられ戦闘態勢を敷きます。
 
 日本軍サイドに生きる選択肢はなかったのですが、体制の中にいる住民にも同じように選択肢はなかった…。
 その結果、3か月におよぶ地上戦となり、沖縄戦での死者は20万人以上、当時の住民の4人に1人が死にました

戦争全般を知りたい▶沖縄県平和祈念資料館/対馬丸記念館

知る人ぞ知る沖縄戦▶南風原文化センター一中学徒隊資料展室ひめゆり平和祈念館

  ※宮古や八重山では地上戦ではなく、日本軍による強制集団移住されてマラリアが原因で多くの死者がでました。

アメリカになった27年

 戦争が終わってアメリカ軍はまだ沖縄に残っていました。日本本土にもアメリカを中心とした連合国軍がいたのですが、1952年4月28日占領が終わりました。
 
 その4月28日に、沖縄はアメリカ軍の統治になりました。

日本人になるためあんな頑張ったのに、今度はアメリカかい


 捕虜収容所にいた住民が住んでる地域に帰ったら米軍基地になっていた所もありました。住む場所を整えて暮らしを立て直しおそうとしたら、米軍基地にするから別の場所に移動させられた人々もいました。

 焼け野原になった地でやり直そうにも、働き手の男も消え、仕事もない。あるのは米軍だけ
 もちろん通貨はドルです。米軍基地の中で働き、基地と関係する産業がどんどん作られ、娯楽・サービス業は米軍関係で潤い、どっぷりとドル中心経済でした

 多くの米軍人がいるので犯罪も多かった、けれど、米軍で作られた法律ですから、裁判でも沖縄の人には悲惨な判決結果となります。犯罪だけでなくほとんどの法律が米軍優先。
 当時のアメリカ軍政府のトップ(高等弁務官)から、沖縄の人に自治権があると思うな、とまで言われました。
 

 その頃、日本本土は経済復興をとげています。
 一番羨ましかったのは「日本国憲法」があることでした。憲法に守られ、一人の人間として認めてもらえるんだよ、いいなぁと憧れたのです。
 だんだん、沖縄のなかに渦巻いていた不満が爆発し、「日本に戻りたい」という運動となっていきます。
  

この時代感じたいなら行ってみて▶
沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリート

不屈館/沖縄県平和祈念資料館

再び日本になる

 日本にもどりたいという住民運動が盛り上がり、1972年5月15日に日本に復帰しました
 
 通貨はもちろん円を使うようになり、日本国憲法はあるけど、米軍基地はそのまま残った…という不思議な形のまま、日本の一部になりました

 日本に戻って50年経ちました。観光業が主力産業となり、生活水準も所得もそれなりに上がりエンターテイメント業も盛んになりました。
かたや、米軍関係の問題はほとんど変わっていません。

 これからの沖縄がどんな歴史を歩んでいけばいいのか沖縄に住んでいる私たちと沖縄好きな人も一緒に考えていければいいなぁと思います。