新聞を読むことが1日のスタート
新聞が玄関わきに大量にたまっている。
沖縄の地方紙『琉球新報』と『沖縄タイムス』の4か月分(私は地方紙ではなく主要紙と思っている)
毎朝、息子たちを追い立てるように見送り、私も追いかけるように出勤する。
玄関に投げ込まれた新聞さんを、時には目を通すことなく横流し、時には息子たちが踏みつけたまま玄関に放置してたまっていく。
誰にもかまわれることのない”主人のいなくなった新聞くん”が可哀そうになってきた。

20年以上、夫は、毎朝「沖縄タイムス」と「琉球新報」に目を通した
酔いつぶれて夜中に帰宅しても、朝6時には起きて新聞に目を通し、明け方に帰宅したら配達される時間を待って目を通す。
夫の記者時代の習慣だった。
仕事を辞めてからも同じだった。配達時間を待つことはなくなったが、新聞に目を通してから、一日の家事など予定を組みたてた。

毎日あわてて仕事にでかけ、新聞にほとんど目を通さない私に、夫はあきれていた
「沖縄の社会問題知らないでよく公務ができるな」
→「読まなくてもできる仕事は沢山あります。私はあなたみたいに暇じゃないです」
「新聞の見出しだけでも読め」
→「はいはい、時間があればね」
→「5分で目を通せるだろ」
→「5分? 私は忙しいです」
→「友達と飲みに行く時間はあるのによく言えるな」
→「飲む時間は精神を安定させる時間で必要不可欠、新聞は…」と、ケンカが始まった。
その日が彼の旅立つ準備だった
20020年7月9日、玄関の新聞受けに新聞が残っていた
結婚以来、こんなことは一度もなかった。振り返って夫を見た。椅子に腰かけてウトウトしている。
朝方はトイレで起きていたのみた、水を飲む姿もみた、いつもなら、とっくに新聞をとって読んでいる。
その朝は新聞をさわった形跡がない…何か変だ

7月10日の夜中、夫がキッチンからテニス部息子の名前を呼んだ。
体調が悪くなってからは、テニス部息子がずっと夫のそばで面倒をみてくれたた。
その子の名前を連呼している。
「水がとまらない、どうやって水を止めるか分からない」と心ぼさげに呟いている。蛇口の締め方が分からなくないようだ
…… 気のせいかと思った
その後、トイレに向かった。電気の点灯スイッチを押せない
…… 何かおかしい、気のせいじゃない!
そばに駆け寄り、ベッドに戻した。眼鏡をかけようとして私に聞いた「これ、どうやってかけるか分からない」
「朝が明けたら病院に行こうね。ごめんね。朝まで少し休もうか」彼を抱きしめ、なだめながら寝かしつけた。
子ども達が小さい時、抱きかかえながら寝かしつけた時と同じだった

その日の朝、職場に出勤し、ざっくりと仕事を片付けてから、午後休みをとり病院に彼を連れて行った。
すぐ入院だった。2日後にホスピス転院し、翌週あけに彼は逝った。
あの日、新聞を取らなかった朝、彼は旅立つ準備の地点に立っていた